培養肉が世界を変える!? -ゲノム編集と食肉の未来に迫る
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人工培養肉工場の誕生
2021年6月23日、イスラエルのRehovotに本拠地を置くFuture Meat Technologiesが世界で初めて培養肉工場を設立したことを発表した[1]。同社によれば、この工場では一日に500kgの培養肉を生産でき、これはハンバーガー5,000個分に相当する量であるという。同社CEOであるRom Kshuk氏によれば、この工場での培養肉の生産は、従来の畜産場での生産に比べ、温室効果ガスの排出量が80%、土地の使用量が99%、淡水使用量が96%それぞれ少なく済むそうだ。同社は早くても2022年にこの培養肉を販売することを目標としている。
そこで今回は、人工培養肉に焦点を当て、人工培養肉がどのようなものであるか、どのような企業が参画しているか、そしてゲノム編集が培養肉研究にどのように利用されているかについて紹介していきたい。
人工培養肉とは
人工培養肉は、英語でcultured meatやclean meatと呼ばれており、その名の通り、人工的に作られた肉のことを指す。(広義の人工肉は、培養肉以外にも植物により作られた代替肉=Fake meatが存在するが、今回は動物性の培養肉のみを扱う。)
この人工培養肉はオランダのMaastricht UniversityのHPにおいて次のように説明されている[2]。
「人工培養肉とは、生きている動物から少ない侵襲で筋細胞を採取し、栄養を与えることで培養させ、筋肉組織へと成長させたものである。この筋肉組織は、生物学的には我々が普段食する肉の主成分である肉組織と同一である」
つまり、人工培養肉とは、肉の成分を0から人工的に生み出すのではなく、動物の筋肉細胞を動物の体外で人間が食べることができるサイズまで人工的に培養させたものであるといえる。それでは、このような方法を用いて肉を生産することにどのようなメリットがあるのだろうか?
人工培養肉のメリット
人工培養肉のメリットはいくつかあるが、最も大きなものとしては、肉の需要増大に対し、環境に配慮した供給の維持ができることだろう。
世界の人口は発展途上国を中心に造塊の一途を辿っており、今や77億人を突破していると言われている。さらに2030年には85億人、2050年には100億人近くになることが予想されており、とどまることを知らない[3]。そして人口増大に伴って食肉需要も増え続けており、2016年時点で3億1700万トンと推定されている世界の食肉生産量は、2050年までで3分の2以上増加すると国連食糧農業機関(FAO)が予測している[4][5]。
これに対応するため、人類は家畜の品種改良や飼育方法、飼料の改良などを行ってきた。しかし、生産量が増えれば増えるほど、そのために必要な資源の消費も膨大なものとなるため、根本的な解決には至ってこなかった。2010年のとある研究では、1kgの野菜を生産するために必要とされる水のfoot printは約322L、果物では962Lであったのに対し、鶏肉は4,325L、豚肉は5,988L、そして牛肉に至っては15,415Lと膨大な水を必要としていることがわかった[6]。農業は今日世界で使用される水の約70%を占めていると言われているが、これは最大で淡水の92%に相当し、その3分の1近くが食肉生産に関連しているそうだ。そのため、FAOは、増大する食肉生産が世界の水質汚染につながることを懸念している。
また、水だけではなく、家畜を生産するためには広大な敷地や輸送のための燃料など、必要な資源の量は計り知れない。それにも関わらず、世界では毎日推定1億3000万羽の鳥と、400万匹の豚が食肉のために屠殺されているとも言われており、膨大なフードロスの問題を考慮しても、この動物の命が全て望ましい形で活用されているとは言いがたい。
このように食肉にまつわる領域には数多くの問題が存在しており、世界で最も評価の高い五大医学雑誌の一つであるLancetから、肉の摂取控えるように提案する論文が出されたほどだ [7]。この著者であるWalter Willett氏らは、今後の人口増加や変容する食生活を懸念し、持続可能な食料システムの維持ために、(1)国内外での食料問題を考える委員会の設置、(2)大量生産から健康的な食品の生産へのシフトチェンジ、(3)食料生産システムの見直しによる生産性や品質の向上、(4)土地の管理システムの構築、(5)フードロスを50%以上減少させる、といった5つの戦略をデータとともに事細かに提言している。
こうした背景を踏まえ、従来の食肉の代替品としての人工培養肉が近年注目を集めているわけだが、培養肉の具体的なメリットとしては以下のようなものが挙げられるだろう。
① 培養のために必要な水、飼料を抑え、小さいスペースで生産ができる
→培養肉は動物そのものを飼育する必要がないため、動物の生存のための水や飼料がかからない。また、研究室・工場レベルのスペースで生産ができるため、必要なスペースは従来よりも大幅に縮小できることが見込める。
② 動物を屠殺する必要性がない
→生きた動物から取り出した細胞の培養であるため、動物の過剰な屠殺をせずに済む。
③ これらの結果、畜産の過程で排出されるCO2やメタンなどの有害物質を低減できる
→従来よりも消費地に近い場所で生産することで、食肉の生産や加工、輸送において大量に発生する有害物質を抑えたり、牛がゲップとして吐き出すメタンの量を減らしたりできると言われている。
このように、人工培養肉は従来の食肉生産における問題点を大きく改善できる可能性をはらんでいる。近年、あのビルゲイツ氏はじめ、世界の億万長者、グローバル企業のトップらが培養肉に対して多額の投資をしており、世界の食肉業界が大きく変わる日はそう遠くないかもしれない。
シンガポールにおける人工培養肉の発売
ここまで紹介してきた人工培養肉だが、実は海の外のシンガポールでは、すでに販売の道が開かれている。2020年12月、カリフォルニア州サンフランシスコに本社を置くEat Justがシンガポール食品庁(SFA)より認可を受け、シンガポール国内で鶏の人工肉の販売をすることができるようになったのだ[8]。同社によると、まずはシンガポール国内レストランでチキンナゲットとしての販売を予定しているという。販売想定価格は$5,000ドルほどとかなり高価であるが、世界最初の人工培養肉がハンバーガー1個分あたり$300,000ほどのコストがかかったことを考えると、Eat Justは食肉問題の解決の大きな第一歩を歩み始めたといっても過言ではないだろう。
人工培養肉とCRISPR
ここでゲノム編集の技術、特にCRISPR/Cas9が人工培養肉において利用されている例についても触れていきたい。
CRISPR/Cas9は、Emmanuelle Charpentier氏とJennifer A. Doudna氏によって開発された現在のゲノム編集の主要な技術である。TALEN, ZFNに続いて第3世代のゲノム編集ツールと呼ばれているCRISPR/Cas9は、対象のDNAを塩基配列特異的に切断し、目的の遺伝子を欠損(ノックアウト)させることで形質発現を操作できる。さらに、DNA切断に伴う修復機構を利用すれば、逆に外部からドナーDNA を導入することで目的の遺伝子を発現させることもできる。(CRISPR/Cas9についての詳細はセツロテックMEDIAに掲載の筆者執筆の記事を参考にされたい[9]。)
そして最初に述べたように、人工培養肉の基本的な仕組みは動物の筋肉細胞・組織培養である。筋肉細胞を、細胞の増殖・分化を促進する成長因子と、細胞が成長するのに好ましい培地を与えることで培養させるができる。ここでおそらく誰もが考えることの一つとして、「どのようにして素早い培養を可能にするか」ということであろう。
これに対する簡単な答えは、
①筋肉細胞そのものの増殖速度を速める
②成長因子、培地をより効率的なものに改良する
のいずれかが挙げられるが、そのそれぞれに対し、CRISPR/Cas9を用いて解決しようとしているスタートアップが既にいくつか存在している。ここでは①、②の観点から開発を行う企業を一つずつ紹介しよう。
①UPSIDE Foods (旧Memphis Meats)
UPSIDE Foodsは2015年に設立されたアメリカ、サンフランシスコを拠点とするスタートアップである[10]。創業者は心臓外科医のUma Valeti氏と生物学者のNicholas Genovese氏である。同社は2017年3月に人工家禽肉の生産に成功した企業であり、昨年ソフトバンクなどから1億6100万ドルという巨額の資金を調達したことも記憶に新しい[11]。
彼らの技術の最大の特徴は、培養肉の生産にあたり、培養する細胞そのものに対してCRISPR/Cas9の技術を適応していることにある。2016, 2017年に特許協力条約(Patent Cooperation Treaty、PCT)に提出された資料[12][13]によれば、彼らは取り出した細胞から、細胞周期の停止に関わるタンパク質であるRb遺伝子をCRISPR/Cas9によって不活化させることによって細胞周期を活性化させたり、p15やp16遺伝子を不活化させてテロメラーゼ(細胞の寿命に関与するテロメラを伸張させるタンパク質)を活性化させたりして、筋肉細胞を効率よく増殖させる技術を特許申請している。さらに、この技術は比較的規制の厳しい遺伝子組み換え生物(GMO)とは異なり、遺伝子の変異・欠失のみを起こすことで目的の形質を獲得するゲノム編集生物(non-GMO)の一種であるため、安全で効率の良い生産が可能であるとされている。(ゲノム編集食品と遺伝子組み換え食品の違いについての詳細はセツロテックMEDIAに掲載の筆者執筆の記事を参考にされたい[14]。)
UPSIDE Foodはまさに、先に紹介したEat Justと並んで今最も人工培養肉の流通を実現させる可能性が高い企業の一つであると言えるだろう。
②Core Biogenesis
Core Biogenesisは2020年に設立されたフランスのスタートアップである。同社は、Alexandre Reeber氏、Chouaib Meziad氏という2人の若手研究者によって設立され、神経変性疾患に対する細胞治療、培養肉生産のための成長因子開発、そしてmRNA生成に関する酵素開発という3つをプラットフォームとする企業である[15]。2020年12月にはXAngeなどの複数企業から計3億円以上の資金調達を行い、注目を集めた[16]。
彼らが培養肉業界で注目を集めている理由は、彼らのゲノム編集の対象が、培養する筋肉細胞ではなく、培地の成長因子であるからだろう。成長因子は、培養肉の増殖に用いる培地の中でも最もコストのかかるものとして知られているが[17]、彼らによれば、成長因子を生産する植物に対してCRISPR/Cas9によるゲノム編集を適応させることで、成長因子を従来の25倍もの効率で生産することができるという[18]。また、これにより培養肉生産にかかるコストは従来の10分の1にまで減らすことができるそうだ。
Core Biogenesisは設立後間もない企業ではあるが、今後成長因子の需要が増大するに伴い、巨大なマーケットを牽引する企業となっていくことが期待できる。
人工培養肉の未来
今回は人工培養肉について紹介した。この記事を読んだ貴方は人工培養肉を食べてみたいと感じただろうか?興味はあるが、同時に得体の知れないものを口にする怖さもあるのではないだろうか。(筆者もその一人である。)
日本に住んでいると、その食物の豊かさゆえに、世界では食肉に関する問題が起きていることなど知る由もない。しかし、ひとたび視野を広げると、人口増加に伴う食糧問題は肉に限らずたくさん発生しており、それに伴って最新の技術を用いて問題解決を試みる研究者・企業も数多く存在している。我々日本人も、地球に住む一員としてこうした問題に関心を持ち、解決策を考えていく姿勢が大切だろう。その結果、食卓に人工培養肉のような選択肢が生まれることは非常に興味深い。今後もゲノム編集を用いた人工培養肉の研究に目が離せない。
(文責:柴田潤一郎)
参考文献
[4] What is the true cost of eating meat?
[6] Mekonnen, Mesfin & Hoekstra, Arjen. (2010). The green, blue and grey water footprint of farm animals and animal products. American Journal of Hematology – AMER J HEMATOL.
[7] Willett W, Rockström J, Loken B, et al. Food in the Anthropocene: the EAT-Lancet Commission on healthy diets from sustainable food systems [published correction appears in Lancet. 2019 Feb 9;393(10171):530] [published correction appears in Lancet. 2019 Jun 29;393(10191):2590] [published correction appears in Lancet. 2020 Feb 1;395(10221):338] [published correction appears in Lancet. 2020 Oct 3;396(10256):e56]. Lancet. 2019;393(10170):447-492. doi:10.1016/S0140-6736(18)31788-4
[8] Eat-Just-Granted-World’s-First-Regulatory-Approval-for-Cultured-Meat
[9] 柴田潤一郎.「CRISPR/Cas9技術を応用したがん治療の未来 -ノーベル賞受賞技術の共演はあるのか-」
[11] 培養肉のメンフィス・ミーツ、ソフトバンクなどから1.6億ドル調達
[12] Method for scalable skeletal muscle lineage specification and cultivation
[14] 柴田潤一郎.「食料問題にCRISPR/Cas9で立ち向かう -ゲノム編集の実益と規制のあり方-」
[16] French Startup Core Biogenesis Secures US$3.1M To Scale Growth Factors For Cell-Based Meat
[17] Growth factor research is key to making cell-based meat affordable
[18] Using plants as biofactories to produce high-value molecules 10 times cheaper