食料問題にCRISPR/Cas9で立ち向かう -ゲノム編集の実益と規制のあり方-

図1

変動する人口動態と食料問題

2019年、国際連合が発表した世界人口推計(World Population Prospect2019)において、2020年末時点の世界の人口は約77.9億人に到達するとの予測がなされた[1]。これは前年と比べて約8000万人の増加であり、今後も発展途上国を中心に増加する一方であるとの見込みだ。

一方、日本の人口は2020年11月時点で約1.26億人とされており、前年よりも微減している[2]。特に人口における65歳以上の割合は28.8%を占め、日本は世界の中でもトップクラスの超高齢社会となっており、今後も人口は減少し続けることが予想される。

こうした人口動態の変化により、今後、我々人類には様々な問題が降りかかってくるだろう。その中でも食料問題は最も深刻な問題の一つだと言える。食料は生物の生存において最重要事項であり、人類の発展のためにも避けては通れない問題だ。この問題は、①途上国を中心とした人口増大により食料生産が追いつかないこと、②一部の先進国における食料生産者の減少により食物自給率が低下していくこと、さらにそれにより③食料分配に不均衡が生じてFood lossが増大することの3点から考えることができるだろう。

その中でも日本では②に関する問題が顕著に見られる。農林水産省によると、日本の令和元年度におけるカロリーベースの総合食料自給率は38%となっており、すでに2/3近くを海外からの輸入に依存している[3]。項目別に見ると、米や鶏卵など、100%に近い自給率を誇る食品もあるが、野菜や牛肉は半分以上を輸入に頼っている。さらに小麦や大豆に関しては、その輸入率は9割近くとなっているのが現状だ。

こうした事実を背景に、同省は食料・令和12年度までに総合食物自給率を45%に引き上げることを掲げている[4]。しかし、令和2年の概算値では、我が国の基幹的農業従事者は136.1万人となり、平成27年の175.7万人からわずか数年で数を大きく落とした[5]。さらに、136.1万人のうち94.9万人は65歳以上と、約7割が高齢者であることが分かっている。政府は新規農業者の支援を行なってはいるものの、未だ多くの従事者が高齢者であることから、さらなる減少は避けられないだろう。

食料問題に対するアカデミアのアプローチ

こうした食料供給の問題が今後も改善されなければ、さらなる食物自給率の低下が進む可能性は高い。その場合、我が国はさらに食料を海外に頼ることになるわけだが、そのような状況下で、現在流行しているCOVID-19のような事態が起こり、各国間の物流が機能低下した場合、我が国は食料の面において致命的な打撃を受けるだろう。

それではこの問題を解決するために、アカデミアとしてはどのようなアプローチができるだろうか。ここでキーワードとなるのは、「生産性の向上」だ。基幹的農業従事者の減少に歯止めがかけられない以上は、限られた資源で最大限の生産性を目指すことで食料需要を満たしていくことを考えるべきだろう。そのための生物学的側面からのアプローチとしては、品種改良によって収量の多い品種や疫病に強い品種の開発をすることが期待されるだろう。

品種改良とは、既存の栽培植物や家畜において、より人間に有用な品種を作り出すことを指す。現在、品種改良において使用されている主な技術は「交雑育種」と言われる方法だ。農研機構によれば、交雑育種は、「遺伝的に異なる品種・系統間で交雑を行って、多様な変異を示す雑種集団を作り、その中から両親優良な特性をあわせ持つ個体や、両親を越える優良な形質を持つ個体を選抜する手法」とされている[6]。例えば、比較的低温環境に強い稲と乾燥に強い稲に対して交雑育種を行うことで、低温耐性と乾燥耐性という両者の特性を兼ね備えた稲を生み出すことができる。

交雑育種のメリットは、既存の品種の望ましい形質は保存しつつも、他の形質を取り入れることで、異種間を補い合う品種への改良が見込めることだ。さらに繰り返し交雑育種を行うことで、より精錬した品種へと改良することが期待できる。

一方、デメリットとしては、交雑育種はあくまで既存の品種の掛け合わせでしかないために、掛け合わせる品種に望ましい形質が存在しなければ、目的の品種へと改良できないことが挙げられる。さらにこの方法は、ゲノムレベルでのアプローチではないためにしばしば望んだ形質が得られないことがあり、費用的にも時間的にもコストがかかる。

ゲノム編集技術と品種改良

そこで近年、ゲノム編集技術を用いて効率良く目的の形質を持った品種を生み出そうという試みがなされるようになった。生物のゲノムは基本的にデオキシリボ核酸(DNA)からできており、そのDNAの配列や立体構造などによって遺伝情報が規定され、生物の形質発現をもたらしている。ゲノム編集技術はこの性質を利用して、ゲノムレベルで生物の形質発現を編集するアプローチである。

現在主流となっているのは、セツロテックも取り組むCRISPR/Cas9と呼ばれる技術だ。ZFN, TALENと呼ばれる編集技術に次いで生まれた第三世代のゲノム編集技術であるCRISPR/Cas9は、元々細菌や古細菌の免疫機構として発見されたものであり、Emmanuelle Charpentier氏とJennifer A. Doudna氏らによって応用され、遺伝子編集技術として提唱された。CRISPR/Cas9は、対象のDNAの配列さえ分かっていれば、それに対応するcrRNAと呼ばれる物質を人工的に設計し、tracrRNAと複合させたガイドRNAを作成し、さらにCas9と呼ばれるハサミの役割を持つ物質と一緒に導入することで、その配列を特異的に切断できる。それにより目的の遺伝子をノックアウトさせ、形質発現を操作できるのだ。さらに、DNA切断に伴う修復機構を利用すれば、逆に外部からドナーDNA を導入することで目的の遺伝子を発現させることもできる(CRISPR/Cas9についての詳細はセツロテックMEDIAに掲載の筆者執筆の記事を参考にされたい[7])。なお、Charpentier氏とDoudna氏がこのCRISPE/Cas9を理由に2020年ノーベル化学賞を受賞したことは記憶に新しいだろう[8]。

このCRISPR/Cas9の技術は、食料問題に立ち向かうためのクリティカルな武器になるだろう。我々の食料となっている栽培植物や家畜を、CRISPR/Cas9によって、より強く・より効率的に生産することができれば、現状抱えている様々な食料問題の解決へ繋がるに違いない。

遺伝子組み換え技術とゲノム編集技術の違い

CRISPR/Cas9を用いた食料生産への応用を考えるために、まずは遺伝子組換え食品とゲノム編集技術応用食品の違いに踏み込もう。

遺伝子組み換え食品とは、ある生物から取り出したDNAを細胞外で取り出した後、細胞の中のDNAに組み込む技術により作られた食品である。一方でゲノム編集技術応用食品とは、ゲノムの特定の塩基配列を認識する酵素を細胞内に導入することによってその配列を切断し、ゲノムに変異を起こすことで作られた食品である[9]。ここでいう変異とは、①自然界においても起こりうる塩基の欠失、挿入、置換、②1-数塩基の狙った変異、③遺伝子などの長い配列の置換などが挙げられる。つまり、遺伝子組換えは外来から遺伝子を組み込むことで形質変化をもたらすが、ゲノム編集はゲノムの特定の遺伝子をノックアウトさせることで、その遺伝子の機能を低下させて形質変化をもたらすという違いがある。

そしてこれらの違いは、食品の安全性審査において大きな違いをもたらしている。厚生労働省の公示によれば、遺伝子組換え食品は、厚生労働省、食品安全委員会らで構成される安全性審査を必要とする一方で、ゲノム編集技術応用食品は、一部を除いて厚生労働省への届け出のみでよいとされている[図1]。

(図1 引用[10])

この要領は、2019年3月の薬事・食品衛生審議会食品衛生分科会において、「編集したオフターゲットの遺伝子変異が、自然界でも確率的に発生しうる変異と比較しても判断が困難なレベルであり、導入遺伝子が残存しない場合、遺伝子組み換え食品とは異なる扱いをすることは妥当である」という旨の提言がされたことなどが根拠となり、2019年10月より適用されている[11]。これにより、ゲノム編集技術応用食品への参入障壁が小さくなり、今後の農業・畜産業に大きな変化をもたらすことが予想される。

CRISPR/Cas9とゲノム編集技術応用食品

CRISPR/Cas9を用いたゲノム編集により、今後様々な応用食品が登場することが想定されるが、中でも期待されるのは「感染症に対する耐性のある生物」だろう。畜産業においては、鳥インフルエンザ、口蹄疫、CSFなど、家畜の疫病がたびたび発生し、畜産業界に致命的な打撃を与えている。中でも鳥インフルエンザは代表的な疫病であり、令和2年における国内の発生は、12月11日現在で以下の22事例が確認されている[図2]。

(図2 引用[12])

鳥インフルエンザが確認される度に、感染が確認されたニワトリだけではなく、同じ施設内のニワトリまでもが殺処分の対象となるため、結果として一施設当たり数万羽の殺処分となることは珍しくない。これは食料自給率の低下など、様々な食料問題においても多大なる悪影響を及ぼす。そのため、鳥インフルエンザの耐性を持つニワトリを生み出すことが期待されており、世界中でさまざまな研究がなされているのだ。

そのうちの一つとして、今回は2016年にNature誌に掲載されたAnice C.Lowen氏の論文[13]を紹介しよう。当論文はニワトリ内で発現している”ANP 32A”というタンパク質とA型鳥インフルエンザとの関連についての研究だ。従来、A型鳥インフルエンザウイルスの増幅に関わるポリメラーゼはヒトをはじめとする哺乳類細胞では正常に作用しないため、哺乳類への感染は基本的に起こらないことが確認されていた。A型インフルエンザポリメラーゼ複合体の増強に必要であるタンパク質(PB2)は同定されていたものの、ウイルスがトリで増殖が起こり、哺乳類で増殖が起こりにくいという機構は不明とされていた。しかし、今回、Lowen氏らの研究チームは、このPB2タンパク質が機能する上で重要なタンパク質としてトリ内で発現が見られるANP32Aを同定することに成功した。そしてANP32Aの細胞内発現を低下させた場合にウイルスポリメラーゼの活性が低下することで、A型インフルエンザの増殖の抑制を確認したのだ。

現時点でPB2とANP32Aの関係が完全に解明されたわけではないが、将来的にANP32Aの抑制誘導により将来的に鳥インフルエンザ耐性を持った鶏を誕生させることができれば、畜産業における問題の解決へと一歩前進するに違いない。その際にCRISPR/Cas9が有効なゲノム編集技術として利用される可能性は十分にあるだろう。

今後、CRISPR/Cas9を用いた有益な生物を誕生させることができれば、人材不足に悩む日本の食料問題解決への貢献度は計り知れないものになるだろう。そのためには、さらなる研究に加え、ゲノム編集に関する法規制や倫理的な問題など、様々な側面から議論していくことが必要だ。我々の生存のために必要不可欠である食品となる生物への関心を深め、地球にとってよりよい選択をしていくことが我々に求められる課題だろう。

(文責:柴田潤一郎)

参考文献

[1] United Nations, Department of Economic and Social Affairs. “World Population Prospect 2019.”

[2] 総務省統計局 「人口推計 -2020年(令和2年)11月報-」

[3] 農林水産省大臣官房政策課 食料安全保障室 「食料受給表 令和元年度」

[4] 農林水産省 「令和元年度食料自給率について」

[5] 農林水産省 「農業労働力に関する統計」

[6] 農研機構 「農業技術辞典」

[7] 柴田潤一郎 「CRISPR/Cas9技術を応用したがん治療の未来 -ノーベル賞受賞技術の共演はあるのか-」

[8] The Nobel Foundation. “Press release: The Nobel Prize in Chemistry in 2020.” The Nobel Prize. 7 October, 2020.

[9] 厚生労働省 「新しいバイオテクノロジーで作られた食品について」

[10] 厚生労働省 「ゲノム編集技術応用食品を適切に理解するための6つのポイント

[11] 薬事・食品衛生審議会食品衛生分科会 新開発食品調査部会 報告書 「ゲノム編集技術を利用して得られた食品等の食品衛生上の取扱いについて 平成31年3月27日 」

[12] 農林水産省 「令和2年度 高病原性鳥インフルエンザ国内発生事例について (令和2年12月11日現在)」

[13] Lowen, A. Host protein clips bird flu’s wings in mammals. Nature 529, 30–31 (2016).

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