CRISPR/Cas9技術を応用したがん治療の未来 -ノーベル賞受賞技術の共演はあるのか-

CRISPR/Cas9について

2020年10月、ストックホルムの王立科学アカデミーは、2020年のノーベル化学賞の受賞者として、Emmanuelle Charpentier氏とJennifer A. Doudna氏の2名を発表した。両氏は、セツロテックも提供するゲノム編集技術の主要なツールである”CRISPR/Cas9”を開発し、従来のゲノム編集技術を大きく進展させたことが受賞の理由として挙げられている[1]。

CRISPR/Cas9とは、簡単に言えば、我々生物を作る上で必要な情報源である遺伝子を、ハサミのようなもので切断して編集する技術だ。この技術は、2012年8月にScience誌に掲載された両氏らの論文[2]において次のように説明されている。

「CRISPR/Cas9システムは、元々細菌・古細菌に存在する適応免疫システムの一つで、CRISPR RNA(crRNA)とトランス活性化型RNA(tracrRNA)が複合体を形成し、目的配列にCas9タンパクを誘導することにより、配列特異的なDNA切断を実現する。」
これを理解するために、まずはCRISPR発見の歴史を辿ってみよう。

CRISPRは1987年に大阪大学の石野教授らのグループによってその存在が報告された[3]。石野教授らは、大腸菌のiap遺伝子と呼ばれる遺伝子の中に、回文構造を持った特異的な繰り返しの配列が存在していることが発見した。

そしてその15年後の2002年、今度はオランダのRuud. Jansen博士らによって、原核生物にも存在するその繰り返し配列は”CRISPR (Clustered Regularly Interspaced Short Palindromic Repeats)”と名付けられた[4]。さらに同博士らは、CRIPSR配列を持つ原核生物に特有な遺伝子である”Cas遺伝子”の存在を報告した。このCas遺伝子には、DNAの二重らせん構造をほどくヘリカーゼや核酸の切断を担うエンドヌクレアーゼに関する機能との関連が見出され、CRISPR配列の生成にCasが関係しているのではないかと提唱されたのだ。

そして更に5年が経過した2007年、米国のノースカロライナ州立大学のRodolphe Barrangou教授らにより、CRISPR/Casシステムの正体が、細菌や古細菌における獲得免疫であると発表された[5]。我々人間には、外来の細菌やウイルスなどに対する免疫を記憶し、次回以降の感染に対する効率的な免疫反応をもたらす適応免疫(=獲得免疫)が存在しているが、同氏らは、そのような機構が細菌・古細菌にも存在することを提唱したのだ。

外来から細菌・古細菌にウイルスなどが侵入すると、細菌・古細菌はそのウイルスの遺伝配列を”スペーサー配列”として自らのDNAに組み込む。各スペーサー配列の間には、回文構造の反復した配列が存在しており、これらを合わせたものがCRISPR配列である。これは簡単に言えば、外来の敵の情報をスラッシュで区切ってリスト化したようなものである。

この細菌・古細菌に外来抗原が再侵入すると、CRISPRの対応する配列からcrRNAを作り出し、別の領域から転写されたtracrRNAと複合体(=これをガイドRNAと呼ぶ)を作ることで、ハサミの役割を持つCas9を誘導して抗原を切断する。こうして細菌や古細菌にも外来抗原から身を守る免疫システムが存在しているのだ。

ここで話を戻そう。今回のノーベル賞受賞の理由となったのは、Emmanuelle Charpentier氏とJennifer A. Doudna氏らがこのシステムを応用し、ゲノム編集の技術を大幅に進展させたからである。CRISPR/Cas9は原核生物特有の免疫システムであると上で述べたが、両氏らは、これを原核生物の枠を超え、真核生物にも応用することを考えたのである。つまり、「切断したい対象のDNAの配列さえ分かっていれば、それに対応するcrRNAを人工的に設計し、tracrRNAと複合させたガイドRNAを作成し、Cas9と一緒に導入することで、その配列を特異的に切断できる」ということに着目し、マウスなどのゲノム編集ツールとして応用することを考えたのである。DNAは切断されてしまえば、修復をされない限り本来の機能を失うため、機能を失活させたい遺伝子の配列を同定し、ターゲットにして切断することで機能を失活させることができるのだ。

CRISPR/Cas9を応用すれば、逆に新しく発現させたい遺伝子を導入することもできる。DNAは複製時に変異や欠損が起こった際、それを修復する機構がいくつか存在している。そのうち、適切な鋳型の存在下で組換えに基づく「相同組換え修復(HDR)」というメカニズムを利用すれば、CRISPR/Cas9によって切断された遺伝子の間に、同時に導入したドナーDNAを挿入する形で導入すれば、効率よく目的の遺伝子を発現させることもできるのだ[6]。

こうしてCRISPR/Cas9は、自由自在に遺伝子を発現、失活させることで、特定の遺伝子の機能を調べたり、目的の遺伝子を持つ/持たないマウスの作成が効率よくできるようになったりと、医学生物学の分野において画期的な進歩をもたらした。

CRISPR/Cas9をがん治療に応用する?

ここまでCRISPR/Cas9について説明してきたが、近年この技術を応用して癌治療に応用しようとする動きが見られている。まずはそれを理解するためには、癌の発生、増殖機序を理解する必要がある。

癌は現在、日本における年間死者数が37万人を超え、2位の心疾患(約21万人)を大きく引き離し、死因第1位の疾患となっている[7]。日本だけではなく世界でも患者数は年々増加しており、現代人の健康を考える上で、がんとの関係は切っても切り離せない。

そもそも、がんとは、1.自律性増殖、2.免疫抑制能の低下、3.浸潤と転移、4.悪液質の4つを特徴とした肺、胃をはじめとする全身の臓器や骨髄系に発生しうる腫瘍性病変である。それぞれの特徴を詳しく解説しよう。

1.自律性増殖

一般に細胞が増殖するためには、自身のDNAを正確に複製し、細胞分裂を行う必要がある。このDNA複製が正確に行われないと、遺伝子変異が起こり、生物にとって時に好ましくない状態が生ずる。そのため細胞複製を行う細胞周期には、いくつか複製のチェックポイントが存在し、正常なDNAが行われているかをチェックし、異常があれば修復する機構が備わっている。ここでは、細胞周期を止めて修復に向かわせるp53のような細胞周期の”ブレーキ”となるタンパク質や、逆に細胞周期を促進するCDKのような”アクセル”となるタンパク質などが関わっている。

このp53はDNA修復が起きない場合は最終的にアポトーシス(細胞死)に向かわせるのだが、このp53に変異が入ると、細胞周期はブレーキの機能を失い、DNA複製の際に起きた変異を見逃してしまうため、修復されないまま細胞増殖を続けてしまう。これが肺がん、大腸がんなどの原因の一部となっている。

そのほかにも、Ras経路、G-protein経路といった、本来はある一定の条件下でスイッチが入り、細胞周期や遺伝子発現の調節を行う機能であっても、それを構成する遺伝子であるRasやMEKなどに変異が入ることで、大腸がん、膵臓がん、皮膚がんなどの原因となりうる。

また、正常な細胞は遺伝子にテロメアと呼ばれる、複製の度に短くなる領域が存在する。このテロメア長がいわば細胞の寿命のようなもので、これが細胞の分裂回数に上限を与えているのだ。しかし、がん細胞では、テロメラーゼと呼ばれるテロメアを伸長させる酵素が発現しており、細胞分裂が限度なく起きてしまう。そのためがん細胞はヒトの正常な新陳代謝に異常をもたらすのだ。

2.免疫抑制機能の低下

通常は体内に遺伝子が異常な細胞や外来性の抗原が存在すると、細胞障害性T細胞(CTL)などの免疫細胞が活性化され、対象となる細胞を破壊する。しかしCTLがいつまでも活性化したままでいると、正常な組織までも破壊されてしまう。そのため、T細胞にはPD-1やCTLA4という分子が発現しており、それぞれ抗原提示細胞や腫瘍細胞表面上のPD-L1、CD80との結合により、その活性を抑制または停止させる。こうして免疫はアクセルとブレーキによってバランスを保っているのだが、一部のがん細胞において、PD-L1の遺伝子変異が生じており、PD-L1の発現が上昇しているため、T細胞からの攻撃を免れていることが明らかにされている[8]。

3.浸潤と転移

さらにがん細胞は、正常細胞よりも多くのグルコースなどを取り込みながら、無秩序に血管を増生させ、周囲に滲み出るように浸潤する。そして血管系を介した血行性転移、リンパ系を介したリンパ性転移によって、全身の臓器に転移していく。遠隔転移をしたがんは予後不良と言われ、外科的切除を不能にする要因となりうる。

4.悪液質

がん組織は代謝が活発なため、正常組織が利用するはずの栄養を奪いながら増殖していくため、正常な組織の機能が失われていく。それにより身体が衰弱していくことを悪液質と呼ぶ。

他にも発がんした臓器に臓器特異的な症状が見られるなど、がんは増殖、浸潤しながら人体を蝕んでゆく。そのため世界中の各製薬企業・学術機関が、がんに対する治療薬の開発に勤しんでいる。

PD-L1阻害薬の未来とCRISPR/Cas9

2019年世界医薬品売り上げランキングの第3位はキイトルーダ、第8位はオプジーボであった[9]。これらは共に、先に述べたPD-L1阻害剤である。そして何を隠そう、オプジーボは、2018年ノーベル医学・生理学賞を受賞した本庶佑・京都大学教授の研究を原点として開発された治療薬である。薬価が高いとはいえ、2014年に国内外で初めて悪性黒色腫の治療薬として認可されてからわずか数年で世界の医薬品市場にてトップクラスの売り上げに名乗りをあげたことからも、その注目度の高さが伺えよう。従来の抗癌剤とは異なる作用機序で悪性腫瘍の治療を試みる研究は今後も歩みを止めることなく進んでいくだろう。

そのうちの一つとして今回紹介したいのは、今年2月にScience誌に掲載された、CRISPR/Cas9を利用したPD-L1阻害による、世界初のヒトを対象としたがん治療のphase1臨床研究である[10]。この臨床研究では、登録のあった6名の患者のうち、最終的にT細胞の編集に成功した3名の患者を対象に行われた。うち2名は進行性の骨髄腫、1名は転移性肉腫を罹患しており、全員とも既存の治療への応答性が低い患者であった。

この研究では、患者自身から取り出したT細胞に対してCRISPR/Cas9の技術を用い、上述のPD-L1、及びT細胞受容体(TCR)の構成分子であるTCRα,TCRβの発現を担うTRAC/TRBCのノックアウトを行い、さらにがん抗原として高い免疫原性を持つNY-ESO-1遺伝子をベクターを用いて挿入し、この細胞をCRISPR-Cas9 NYCE T cellと名付けた。

T細胞受容体はT細胞表面に存在し、抗原認識を行うことで免疫応答を促進する作用を持つ分子である。通常の体内では免疫応答に欠かせない分子であるが、一度取り出して遺伝子編集を行ったT細胞のTCRが、再び体内に注入されたことにより、内在しているT細胞上のTCRと不安定な相互作用を引き起こし、免疫効率を低下させるとの先行研究に基づいてノックアウトされ、代わりにNY-ESO-1が挿入された。

以上の編集を受けたT細胞を培養し、患者に投与した結果、2名の患者は1ヶ月経過後も生存し、1名の患者は試験期間中に腫瘍の進行が原因で亡くなった。さらに生存患者のうち1名には、顕著な腫瘍抑制効果が見られ、この両方の有効性に期待が持てる結果となった。これはあくまでphase1試験であり、この療法の安全性を確認する目的であったのだが、T細胞に対する抗体医薬品の投与によって起こりうるアレルギー反応の一つであるサイトカイン放出症候群については、類似の療法であるCART療法と比較しても危険性を示唆される結果は見られなかった。しかし、Cas9のDNA二本鎖切断により生じるNHEJの際に、意図しない染色体転座の発生がわずかに観察されたため、これについては今後検討の必要があるとのことだ。この治療法が実際の臨床現場で実現するためには、まだまだ長い時間がかかりそうだが、この結果を皮切りにして世界中でCRISPR/Cas9を用いたがん治療の研究が進むことを期待したい。

今後の医学の発展とCRISPR/Cas9の未来

今回紹介した臨床研究は、偶然にも2018,2020年のノーベル賞受賞に関与する研究が共演した形と言える。2016年にオートファジーの研究でノーベル医学生理学賞を受賞した大隈良典氏が「基礎科学は何かの役に立つと確信して行うものではない。20年、50年、100年先に何かの役に立つかもしれないし、どこに向かっていることが分からないことが楽しみである」との旨の発言をされたが、今回の経過もそのようなことが言えるだろう。もともとはゲノム編集ツールとして提唱され、セツロテックの主要戦力となっているCRISPR/Cas9が、世界中の研究者の叡智をもとに応用され、現代医学の敵とも言えるがんの治療へと立ち向かおうとしている。今後もCRISPR/Cas9を利用して、PD-L1だけでなく、その他の遺伝子のノックイン/アウトによって様々な疾患の治療法が誕生してくるかもしれない。それには倫理的な問題や危険性など、様々な問題が浮上してくるだろうが、我々がそういったテーマに興味関心を抱き、その度に科学によって立ち向かい、人々の生活をより豊かにできるよう進んでいくべきだろう。

(文責:柴田潤一郎)

参考文献

[1] The Nobel Foundation. “Press release: The Nobel Prize in Chemistry in 2020.” The Nobel Prize. 7 October, 2020.

[2] Charpentier E., et al. A programmable dual-RNA-guided DNA endonuclease in adaptive bacterial immunity. Science 2012 Aug 17;337(6096):816-21.

[3] Ishino Y., et al. Nucleotide sequence of the iap gene, responsible for alkaline phosphatase isozyme conversion in Escherichia coli, and identification of the gene product. J Bacteriol 169: 5429-5433.

[4] Jansen R., et al. Identification of genes that are associated with DNA repeats in prokaryotes. Mol Microbiol. 2002 Mar;43(6):1565-75.

[5] Barrangou R., et al. CRISPR provides acquired resistance against viruses in prokaryotes.
Science 2007 Mar 23;315(5819):1709-12.

[6] George M. Church, et al. RNA-Guided Human Genome Engineering via Cas9. Science 15 Feb 2013; Vol. 339, Issue 6121, pp. 823-826.

[7] 厚生労働省 「令和元年 人口動態統計」

[8] Kataoka K., et all. Aberrant PD-L1 expression through 3′-UTR disruption in multiple cancers. Nature 534, 402–406 (2016).

[9] IQVIA U.S.A. Pharmaceutical Market Statistics in 2019.

[10] Carl H. June, et al. CRISPR-engineered T cells in patients with refractory cancer. Science 367, eaba7365 (2020)

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