ゲノム編集で人類を感染症から守る -CRISPR/Cas9とマラリアの戦い-
感染症の脅威
2019年、中国武漢で集団感染が確認されたSARS-CoV-2による新型コロナウイルス感染症は、2021年を向かえた今もとどまるところを知らず、世界中で大流行を起こしている。日本国内でも2021年1月現在、連日数千人の感染者を出し、東京都では2021年1月7日より緊急事態宣言が発令されている。SARS-CoV-2は非常に感染力が高いと想定されており、「三密」などが謳われて様々な対策が講じられていながらも、感染者数は依然としてうなぎ登りとなっている。これに伴う景気への大打撃や医療界への圧迫は戦後最悪とも言われ、グローバル化に伴う我々の感染症の脆弱性が露わとなっている状況だ。
しかし、感染症が人類の脅威となったのはこれが初めてのことではない。中でもマラリアは先史時代から霊長類の人獣共通感染症として我々を悩ませ続けてきた。4700年前の医学典範であるNei Chingによれば、マラリアは5000年前には既に中国では広まりを見せていたと言われている[1]。また、インドでも3000年前には既にマラリアの流行があったことがVedicで示唆されていたほか、ギリシャでは紀元前500年前の書物にも登場するなど、マラリアは遙か昔から世界各地で流行していたと考えられている。さらに19世紀には、世界の人口の半数がマラリアの感染危機にあり、当時の死者の10人に1人はマラリアによるものだったとも言われている。20世紀になると次第に死者は減少の兆しを見せたものの、2度の世界大戦により再び多くの死者を生み、地域によっては現在に至るまで収束していない[2]。
そのような状況を踏まえ、長い間世界中でマラリアに対する研究が広く行われきた。その結果、様々な薬剤が開発され、ノーベル賞受賞者も複数人にのぼるなどの進展を見せてきた。しかし、現代においてもマラリアに感染して命を落とす人は後を絶たず、2019年にWHOが発表した”World Malaria Report2019”では2018年におけるマラリアによる死者は40万5千人と報告されている[3]。また、全世界の感染者は2億人を超え、その大半がアフリカやアジアの地域に集中していると推定されている。そのような背景を踏まえ、今回はマラリアに対する治療の試みとして、ゲノム編集の立場からアプローチをしていきたい。
マラリアについて
ゲノム編集を用いたマラリア治療の話をする前に、まずはマラリアについて整理していこう。マラリアはマラリア原虫(Plasmodium spp.)と呼ばれる原虫を病原体として、ハマダラカ(Anopheles spp.)によって媒介される血液感染症である[4]。ヒトに感染が確認されているマラリアは、熱帯熱マラリア原虫(P. falciparum)、三日熱マラリア原虫(P. vivax)、四日熱マラリア原虫(P. malariae)、卵形マラリア原虫(P. ovale)、サルマラリア原虫(P. knowlesi)を病原体とする5つである。その中でも、熱帯熱マラリアは悪性マラリアとも呼ばれ、感染により重篤化するリスクが高い。
また、マラリアは特殊な生活環を形成することでも知られている。ヒトはマラリアの中間宿主であり、終宿主であるハマダラカの体内で有性生殖されたマラリア原虫は、スポロゾイトと呼ばれる形態でヒトの血中に侵入し、体内を循環した後に肝臓の肝細胞に侵入する。さらに肝細胞中で増殖し、メロゾイトとなったマラリア原虫は肝臓を飛び出して赤血球に侵入し、破壊することで溶血を引き起こす。
マラリアに罹患すると、患者は周期性の高熱を呈する。その周期は種によって異なり、これは三日熱マラリアなどの名前の由来ともなっている。さらに症状が進行すると、溶血に伴う脾臓の腫大や、血栓形成により臓器の毛細血管が閉塞して生じる脳マラリアなどの臓器不全が見られ、最終的に患者は昏睡状態になり、死亡する。
マラリアに対する治療薬はいくつか開発がされ、実用化に至っている。キニーネはキナの樹皮に含まれるアルカロイドであり、後続するクロロキン、プリマキンなどの構造の元になった抗マラリア薬として有名である。近年承認されたヒドロキシクロロキンは2019年時点で既に世界で19億ドル規模の市場評価がなされており、その注目度の高さがうかがえる[5]。なお、ヒドロキシクロロキンは現在、世界各国で新型コロナウイルスに対する治療薬の候補の一つとして治験が行われたとして話題になった[6]。
また、マラリアに関する研究を理由にノーベル賞を受賞した研究者もいる。2015年のノーベル医学・医学賞には大村智氏、ウィリアムキャンベル氏、屠呦呦氏の3名が選出されたが、そのうち屠呦呦氏は抗マラリア薬であるアルテミシニンの発見を理由に受賞した(なお、大村氏、ウィリアム氏は疥癬などの治療薬として知られるイベルメクチンの開発が受賞のきっかけとなっている)[7]。アルテミシニンはヨモギ属の植物であるクソニンジンから分離・命名されたセスキルテンペンラクトンの一つで、体内でフリーラジカルを発生させることでマラリア原虫を死滅させる薬剤であり、主に発展途上国におけるマラリア患者の命を数多く救ったことで知られている。現在では様々なアルテミシニンの誘導体や類縁体が研究され、より効果的な治療薬の開発が望まれている。
しかしながら、先にも述べたとおり、現在世界で年間40万人を超える人々がマラリアによって命を落としている現状を見ると、単なる治療薬開発以外のアプローチをする必要性があると言えるだろう。今回はそうした研究の中から、ゲノム編集によってマラリアを殲滅させようとしている研究をいくつか紹介していこう。
ゲノム編集とマラリア
現在、ゲノム編集技術として主に使用されているのは、セツロテックも取り組むCRISPR/Cas9システムである。ZFN, TALENと呼ばれる編集技術に次いで生まれた第三世代のゲノム編集技術であるCRISPR/Cas9は、元々細菌や古細菌の免疫機構として発見されたものであり、Emmanuelle Charpentier氏とJennifer A. Doudna氏らによって応用され、遺伝子編集技術として提唱された。CRISPR/Cas9は、対象のDNAの配列特異的に切断し、目的の遺伝子をノックアウトさせることで形質発現を操作できる。さらに、DNA切断に伴う修復機構を利用すれば、逆に外部からドナーDNA を導入することで目的の遺伝子を発現させることもできる(CRISPR/Cas9についての詳細はセツロテックMEDIAに掲載の筆者執筆の記事を参考にされたい[8])。
このCRISPR/Cas9が世界で初めてマラリア原虫に対して研究適用されたのは、2014年にNature Biotechnologyに投稿されたMehdi Ghorbal氏らによる論文における研究である[9]。Mehdi氏らによると、これまで第一世代のゲノム編集技術であったZFNにより、マラリア原虫のDNAの二本鎖切断を誘導することができることは確認されていた。しかし、その設計は非常に手間がかかる上にコストがかさむため、現実的な研究にはあまり利用されてこなかった。しかし、第三世代のCRISPR/Cas9は、適切なgRNAの設計により、マラリア原虫においても簡易的に二本鎖切断を誘導できることが今回の研究で示された。さらに、donar DNAを導入して相同組み換えを利用することで、マラリア原虫に外来遺伝子を誘導できることも確認されたのだ。
この研究では、マラリア原虫の染色体のegfp 領域をターゲットとして、二本鎖切断を誘導し、ヒトにおける葉酸拮抗代謝阻害薬に対する耐性遺伝子を導入した。その結果、三週間ほどで葉酸拮抗代謝阻害薬耐性を持つ、egfpを欠損したマラリア原虫の繁殖に成功した。
また、以前の研究においてC580Y遺伝子の変異とアルテミシニンの薬剤耐性の関連が示されていた[10]ことに注目し、CRISPR/Cas9によるC580Yのノックアウトにより、マラリア原虫にアルテミシニン耐性を獲得させることにも成功した。
そしていずれの実験においても、有意なオフターゲット効果は確認されなかったことが述べられている。なお、オフターゲット効果とは、CRISPR/Cas9において懸念されている、意図しない遺伝子変異の発生である。
以上の研究を踏まえ、Mehdi氏らは、マラリア原虫におけるCRISPR/Cas9の有効性を訴えている。適切なCRISPR/Cas9の利用により、現在深刻な問題であるマラリア原虫の薬剤耐性に関する研究などがより一層発展していくことが期待できるだろう。
もう一つ紹介したいのは、2018年にNature Biotechnologyに掲載されたAndrea Crisanti氏らの研究である[11]。Andrea氏らは、遺伝子ドライブに注目し、マラリア原虫ではなく、マラリア原虫を媒介するハマダラカに対してCRISPR/Cas9を用いることで、効率的にゲノム編集を行うことを試みた。遺伝子ドライブとは、特定の遺伝子が偏って遺伝していく現象のことを言う。この遺伝子ドライブを人為的に起こすことができれば、理論上は世界に広がる生物の個体群の形質を操作することができる。
Andrea氏らは、ハマダラカにおける生殖に関わるdoublesex遺伝子におけるintron 4–exon 5領域をCRISPR/Cas9においてノックダウンさせることで、生殖機能を失ったハマダラカの作成を試みた。結果として、ケージに入れられたゲノム編集ハマダラカは7世代目にはほぼすべての個体が生殖機能を失い、最終的には全滅するに至ったのだ。
この実験はケージ内に限られたものであったが、仮にこのハマダラカが自然界に放たれれば、最終的には世界中のハマダラカが生殖機能を失い、全滅することによってマラリアの感染者を抑えることができるのではないかと示唆されている。
これは夢のような話であるが、実現のためにはまだまだ時間がかかる。マラリアの殲滅という視点だけでみれば、CRISPR/Cas9を用いた遺伝子ドライブは人類にとって有益だと言えるが、ハマダラカの絶滅が最終的に人類にどのような影響を及ぼすかについては更なる研究が必要だろう。人為的な遺伝子ドライブによって個体群を絶滅させることについての倫理的な問題に関しても議論が必要であり、安易なゲノム編集による生態系への関与は慎重になるべきだろう。
しかし、CRISPR/Cas9を利用したこのようなゲノム編集が人類の発展に寄与することは間違いないと考えられる。マラリアの殲滅は古くからの人類の夢であり、ゲノム編集は多くの命を救う救世主となり得るだろう。
また、マラリアだけではなく、SARS-CoV、新型インフルエンザ、SARS-CoV-2のように、約10年周期で発生しているパンデミックに対しても、CRISPR/Cas9の介入の余地はあるかもしれない。現在、歴史上最も速い速度で広がりを見せているSARS-CoV-2が収束しようとも、いずれまた違った感染症が発生することは想像に難くない。今回のパンデミックを教訓に、人類の英知である様々な技術を駆使した感染症の殲滅が達成されるよう、我々が興味をもち、積極的に議論に参加をし、前進していこうとする姿勢が求められるだろう。
(文責:柴田潤一郎)
参考文献
[2] Dobson, M. J. 1994. Malaria in England: a geographical and historical perspective. Parassitologia 36:35–60.
[3] World Health Organization. “World Malaria Report2019”.
[4] World Health Organization. “Malaria”.
[5] 産経ニュース「ヒドロキシクロロキンの市場は2027年までに46億ドルに達すると推定されています」
[6] WHO、抗マラリア薬の治験開始へ コロナ治療薬へ」
[7] The Nobel Foundation. “Press release: The Nobel Prize in Physiology or Medicine 2015.” The Nobel Prize. 15 October, 2020.
[8] 柴田潤一郎 「CRISPR/Cas9技術を応用したがん治療の未来 -ノーベル賞受賞技術の共演はあるのか-」
[10] Ariey, F., Witkowski, B., Amaratunga, C. et al. A molecular marker of artemisinin-resistant Plasmodium falciparum malaria. Nature 505, 50–55 (2014).
`
[11] Kyrou, K., Hammond, A., Galizi, R. et al. A CRISPR–Cas9 gene drive targeting doublesexcauses complete population suppression in caged Anopheles gambiae mosquitoes. Nat Biotechnol 36, 1062–1066 (2018).