ゲノム編集で血液疾患を治療する -鎌状赤血球症とβサラセミアに挑む-
2021年6月11日、第26回欧州血液学会議において、Vertex Pharmaceuticals Incorporatedと CRISPR Therapeuticsの2社により、ある血液疾患の患者22名のPhase1/2臨床試験の中間結果が公表された[1]。その疾患はβサラセミア、鎌状赤血球症と呼ばれる2つの疾患であり、いずれも赤血球産生異常を引き起こす遺伝性疾患である。この臨床試験の特筆すべき点は、ゲノム編集技術であるCRISPR/Cas9を用いているという点であり、既存の治療とは異なる画期的な治療として注目を集めている。
今回はこちらの臨床試験を中心に、血液疾患に対するゲノム編集治療に迫っていきたい。
Index
βサラセミア、鎌状赤血球症とは?
まずは血液、特に赤血球について簡単に振り返っておこう。
血液は生物の生存に欠かせない重要な物質であり、人間であれば体重の約8%を占める(体重60kgの人であれば5L程度)。そのうち約45%が細胞成分であり、細胞成分のうちの大多数を赤血球が占めている。
赤血球のうち、肺から全身の組織へ酸素を運搬する役割を担っている主要なタンパク質をヘモグロビンと呼ぶ。ヘモグロビンは、4つのヘムと4つのグロビンという構造物からなる。ヘムは中心に1つの鉄原子を持ち、1つあたり酸素1分子と結合することができ、グロビンは健常な成人ではαグロビン、βグロビンの2つずつ、計4つからなっている。これらがアロステリック効果(タンパク質の機能が他の化合物によって調節される現象)を引き起こし、酸素の多い場所(=肺)では酸素と結合し、酸素の少ない場所(=末梢組織)では酸素を乖離することで、赤血球は全身に酸素を運搬する機能を果たしている。
なお、胎児・新生児期にはβ鎖の代わりにγ鎖が産生され、成人の赤血球よりも酸素との結合能の高いヘモグロビン(=ヘモグロビンF)が産生される(実はこれが今回の治療のミソであるため、覚えておいていただきたい)。
それでは次に、今回の臨床試験の対象となった2つの貧血疾患、βサラセミアと鎌状赤血球症について説明していこう。
βサラセミア
βサラセミアはその名前の通り、βグロビン遺伝子の変異または欠失により、ヘモグロビンのうち、βグロビンに合成障害が起こる先天性溶血性貧血の一種である[2]。βサラセミアは、地中海沿岸や中東、東南アジアなどに祖先をもつ人々に多いと言われており、世界で約10万人の患者がいると推定されている。
βサラセミアでは、βグロビンの遺伝子の欠失レベルや症状の程度により、①ヘテロ接合体に生じ、通常は自覚症状がなく、軽度から中等度の小球性貧血がみられるβサラセミア minor(trait)、②ホモ接合体または重度の複合ヘテロ接合体に生じ、重度のβグロビンの欠乏に起因するβサラセミア major、③サラセミアminorとmajorの中間の様々な臨床像を生じるβサラセミアintermediaの3つに分類されている。中でも、βサラセミアmajorは、1~2歳までに発症し,重度の貧血に加え、輸血および吸収増加による鉄過剰症を呈するほか、黄疸や下肢潰瘍、胆石症、脾腫、病的骨折、成長障害が生じることも珍しくない。
要するに、βサラセミアは赤血球を構成するパーツのうちの一部分(βグロビン)が遺伝子異常により正常に産生できないため、全身への酸素運搬が十分にできない病態を示すのだ。
鎌状赤血球症
鎌状赤血球症はSickle cell disease (SCD)と呼ばれる慢性溶血性貧血の1種である[3]。βグロビンの6番目のアミノ酸であるグルタミン酸がバリンに置換されていることで異常なヘモグロビン(=ヘモグロビンS)を産生することが原因とされている。患者のほとんどがアフリカ系の黒人であり、毎年世界で約30万人の鎌状赤血球症の新生児が誕生すると言われている。
症状としては重度の貧血や虚血に加え、血管閉塞やそれに伴う梗塞症状がある。血管閉塞の結果、急性胸部症候群や四肢の疼痛などを引き起こし、しばしば致命的となる。
なお、ほとんどの症状はホモ接合体の患者にのみ見られることが知られており、ヘテロ接合体で症状が見られない場合をSick cell trait (SCT)と呼ぶ。
以上のように、サラセミア、鎌状赤血球症の2つの疾患は、いずれもβグロビンの遺伝的な産生異常によるものであり、新生児期以降の患者にしばしば重篤な症状をもたらす。また、患者数が多いにもかかわらず、現時点では造血幹細胞移植以外の根治的な治療は無いため、患者数の多いアフリカは特に大きな問題となっている疾患である。
それでは今回のVertex Pharmaceuticals Incorporatedと CRISPR Therapeuticsが発表した臨床試験では、どのようにしてCRISPR/Cas9を用いた治療薬を開発したのだろうか? 両社のプレスリリースおよび論文からその秘密を紐解いていこう。
CRISPR/Cas9の概説
それでは、本題のVertex Pharmaceuticals Incorporatedと CRISPR Therapeuticsの研究について見ていこう。
まず、βサラセミア、鎌状赤血球症に対する両社の治療薬の研究結果は、2019年11月に初めて公開された[5]。両社が開発したのは、βサラセミア、鎌状赤血球症の患者の造血幹細胞を取り出し胎児のヘモグロビンFの産生を抑制するBCL11A遺伝子を、CRISPR/Cas9を用いて欠失させ、それを自家移植することで、患者に赤血球結合能の高いヘモグロビンFを産生させるというメカニズムの治療薬である。彼らはこの治療薬をCTX001と名付け、ドイツにおいてフェーズ1/2臨床試験を開始した。
2019年11月に公開されたのは、このうち、最初に行われたβサラセミアの患者と鎌状赤血球症の患者1名ずつに対する治療の中間報告である。このうちβサラセミアの患者は、治療前は1年に16.5回の輸血が必要なほどであったが、CTX001の注入後は9か月間輸血なしに、鎌状赤血球症の患者は、治療前は7回の血管閉塞イベントを発症するほどであったが、CTX001の注入後は4ヶ月間血管閉塞症のないまま経過を辿ったことが確認された。さらに、βサラセミアの患者では、総ヘモグロビンレベルが11.9 g/dLに上昇し、うち胎児ヘモグロビン(HbF)レベルが84.8%、鎌状赤血球症の患者では、総ヘモグロビンレベルが11.3 g/dLに上昇し、うち胎児ヘモグロビン(HbF)レベルが84.8%と、どちらの患者でも、有効性を示すチェックポイントを超える結果となった。しかし、この時点では、患者がたった2名であること、追跡期間が短いことが問題視されており、追加試験による検討の必要性が挙げられていた。(最終的にはこのフェーズ1/2臨床試験は45名ずつの患者が登録される予定であり、現在も進行中である[6][7]。)
そして、この2名の患者については、2021年1月に入りThe New England Journal of Medicine (NEJM) において、さらなる追跡結果が報告された[8]。この報告によれば、βサラセミアの患者は論文投稿時点で21.5ヶ月間の追跡を受けており、その間、治療との因果関係の証明されていない肺炎を含めて、何度か有害事象が発生したものの、いずれも治療により改善し、ヘモグロビンレベルは正常値を保っているという。鎌状赤血球症の患者も16.6か月間の追跡を受けており、好中球減少症、胆石症などの有害事象が発生したものの、治療により改善し、ヘモグロビンレベルは正常値を保っているという。
欧州医薬品庁(EMA)による優先医薬品指定と欧州血液学会議での追加報告
以上のような経過を受けて、欧州医薬品庁(EMA)は2021年4月、CTX001を新たに優先医薬品(PRIME)に指定した[9]。これまでにもCTX001は、EMAからの希少疾病用医薬品の指定、米国食品医薬品局(FDA)から再生医療先進療法(RMAT)、ファストトラック、希少疾病用医薬品、および希少疾病用医薬品の指定を受けており、CTX001への熱い期待が伺える格好となっている。
さらに2021年6月、冒頭にも紹介した第26回欧州血液学会議においてさらなるCTX001の臨床試験結果が報告された[1]。この報告では、βサラセミア、鎌状赤血球症の患者計22名の経過が報告されたが、どの患者も経過は比較的良好であり、たった1回限りのCTX001の治療で、治療前よりもヘモグロビンレベルが上昇・維持されているという。さらにそのうち7人は治療後1年以上の追跡が行われているが、いずれも安定した結果を示しているという。
現在はまだ臨床試験の途中であるため、手放しにこれらの結果を喜ぶことはできないが、今後の試験の結果に期待したい。
CRISPR/Cas9を利用した治療の未来
今回紹介したCRISPR/Cas9による疾患の治療研究はほんの一握りである。ほかにも、スイスのCRISPR社による多発性骨髄腫治療薬、米国インテリア社の急性骨髄性白血病治療薬など、血液疾患だけでも数多くのCRISPR/Cas9を応用した研究が進められている。
このように、従来は造血幹細胞移植のみが根治的な治療法であった疾患に対し、ゲノム編集による治療は非常に有意義なものとなるだろう。それは、造血幹細胞移植が血液型などの一致するドナーを必要とするのに対し、今回紹介したCTX001であれば、自家移植(患者本人の細胞を利用する)を行うことができるため、ドナー不足の問題や治療後の拒絶反応が比較的小さく済むことが予想されるからだ。
もちろんこの研究にかかる費用は並大抵のものでは済まないだろう。しかし、元々は微生物の免疫機構として発見されたCRISPR/Cas9が人類の難病治療に応用されるというのは、まさに基礎研究と臨床研究を繋いだ夢のある話と言える。今後もゲノム編集の応用研究から目が離せない。
(文責:柴田潤一郎)
参考文献
[4] 柴田潤一郎 「CRISPR/Cas9技術を応用したがん治療の未来 -ノーベル賞受賞技術の共演はあるのか-」
[5] Zipkin M. CRISPR’s “magnificent moment” in the clinic [published online ahead of print, 2019 Dec 6]. Nat Biotechnol. 2019;10.1038/d41587-019-00035-2. doi:10.1038/d41587-019-00035-2
[8] Frangoul H, Altshuler D, Cappellini MD, et al. CRISPR-Cas9 Gene Editing for Sickle Cell Disease and β-Thalassemia. N Engl J Med. 2021;384(3):252-260. doi:10.1056/NEJMoa2031054