ゲノム編集で認知症が予防できる…!?

医療の進歩による死亡率の低下により、2019年の日本人の平均寿命は男性が81.41歳、女性は87.45歳と世界ランキングの上位に食い込んだ。[1] このような長寿大国日本の抱える問題の1つとして挙げられるのが要介護または要支援の認定を受けた人の増加である。[2] 要介護度は、「要支援1~2」「要介護1~5」と、心身の状態に応じて7段階に分けられており、要支援は家事や身支度等の日常生活に支援が必要になった状態、要介護は家事や身支度等の日常生活に支援が必要になった状態のことを指す。[3] このような要介護者等が、介護が必要になった原因として最も多く挙げられるのが認知症だ。[2] 認知症は根本的な治療薬が未だ開発されておらず、「不治の病」というイメージを持つ人も多くいるだろう。しかし、今回はゲノム編集が認知症の予防、治療に大きく活躍し、多くの認知症患者を救う可能性があることを紹介したい。

さて、認知症と一口に言っても様々な種類がある。認知症患者のおよそ半数以上はアルツハイマー型認知症を罹患しており、次いで脳血管性認知症、レビー小体型認知症を罹患する患者が多い。ここではまず、各認知症の特徴について簡単に以下にまとめた。

(1)レビー小体型認知症
脳内にたまった「レビ-小体」と呼ばれる特殊なたんぱく質により脳の神経細胞が破壊されることが原因となって発症する認知症である。症状として特徴的なものに認知機能の変動、実際には存在しないものが見える幻視が繰り返し出現すること、パーキンソン症状が挙げられる。[4] パーキンソン症状とは体や表情が硬くなる、運動がぎこちなくなるといった運動症状が出現する状態のことである。他にもレム睡眠中に暴れるといった睡眠行動障害や抑うつ症状、自律神経症状に悩まされる患者もいる。他の認知症よりも進行が早く、根本的な治療薬は開発されていないもののアルツハイマー型認知症の治療薬が有効な場合がある。[5]

(2)脳血管性認知症
脳梗塞や脳出血によって脳細胞に十分な血液が送られずに、脳細胞が死んでしまうことが原因となって発症する認知症である。高血圧や糖尿病などの生活習慣病を患う人が多く罹患し、男性に多く発症が見られる。[4] 手足の麻痺、構音障害(正しく発音できない状態)、飲み込みの障害、感覚障害などの神経症状を伴いやすいことが特徴的で、障害を受けた部位によって症状が異なるまだら認知症である。意欲や自発性がなくなったり感情の起伏が激しくなったりすることがあるものの、判断力や記憶は比較的保たれている。ただし、脳血管障害が起こるたびに段階的に症状が進行するため血圧のコントロールなどの生活習慣改善への注意が必要だ。[5]

(3)アルツハイマー型認知症
後述する、ゲノム編集が予防に貢献する研究事例はこちらのアルツハイマー型認知症(以下からADと省略する)に対してである。ADは脳内にたまった異常なタンパク質により神経細胞が破壊され、脳に萎縮が起こることが原因となって発症する。[4] この異常なタンパク質、アミロイドβ(以下からAβと省略する)にADの原因があるという仮説をアミロイドカスケード仮説と呼ばれる。ADは未だ完全に原因機構が解明されているわけではないものの、この仮説は現在最も有力であり、この仮説をもとに治療法や治療薬が研究されている。アミロイドカスケード仮説のさらに詳しい説明は以下の通りである。まず、脳内の神経細胞外でAβというタンパク質が沈着することが引き金となってτタンパク質(微小管結合タンパク質の一種)が凝集し、神経繊維の変化を形成して神経細胞死に至る。この神経繊維変化と神経細胞死から脳の萎縮が起こってしまうことで、ADを発症した患者には記憶力障害、言語・計算・視空間認知障害といった臨床的特徴が見られる。[6] 現在、ADに使用される薬は日本で4種類認可されている。これらの薬は脳で生き残っている神経細胞を活性化させて認知機能を保つ可能性があり、イライラや不安を減らすことで生活の質を上げる効果も期待できる。一方で、認知症の進行自体を止める働きはないために服用していても最終的には認知症は進行し、記憶障害や行動障害を劇的に改善させる効果も期待できないことから、根本的な予防・治療薬にはなり得ない。[7]
根本的なADの予防や治療に関する研究が昨今進められているが、その中でもゲノム編集を用いたADを予防する研究についてこれから説明したい。

この研究は端的に表すと、ゲノム編集が先ほど説明したAβの蓄積を防ぐことでADの予防を可能にする、というものだ。元々は2014年に行われた次世代型ADモデルマウスの開発から始まった研究である。この2014年の研究は原因不明の突然死を起こす従来型のADモデルマウスを改善するために行われた。家族性AD患者の遺伝子変異をマウスのAPP遺伝子に導入し、マウスのAβのアミノ酸配列をヒトと同じにすることでヒト患者脳と同様のAβ蓄積が見られる次世代型ADモデルマウスが開発された。APP遺伝子とはAPPというアミロイド前駆体を合成する遺伝子のことで、APPは酵素によってAβに切断される前のタンパク質である。この研究中に家族性AD患者の遺伝子変異をしたにもかかわらず、脳内にAβの蓄積が見られないモデルマウスが確認され、このモデルマウスを調査すると、そもそもAPP遺伝子配列の一部が欠失していたことが明らかになった。[8] この欠失領域がAβ蓄積の鍵を握るかもしれないという考察と、欠失領域内の非翻訳領域(遺伝子配列の中でmRNAに転写されるが、タンパク質には翻訳されない領域)はマウスとヒトでほとんど変わらないことからさらに研究が進み、ゲノム編集がAβの蓄積を防ぎ、ADの予防を可能にする研究結果が2018年に発表された。2018年の研究ではまず、次世代型ADモデルマウスの受精卵の非翻訳領域のうち700塩基をCRISPR-Cas9を用いたゲノム編集で欠損させてタンパクレベル(翻訳後の発現)とmRNAレベル(転写後の発現)における脳内のAβの蓄積量とAPP発現量の関係を観察した。この700塩基はAPPの発現量を調節するAPP遺伝子の非翻訳領域の大部分を占めている。実験結果より、多くの場合でAPPの発現量がタンパクレベル、mRNAレベルでともに低下しており、APPの発現量とAβの蓄積量が相関していたことが明らかになった。このことから、この700塩基の欠失がAPPタンパク質発現の低下に寄与し、Aβの沈着を緩和させることが確かになった。さらに、欠失させる遺伝子領域を短くして同様の研究を行ったところ、最終的に34塩基がAβの蓄積を抑制することに効果があることがわかった。以上の研究結果からCRISPR-Cas9を用いたゲノム編集によってADに対して保護的な遺伝子欠失が明らかになった。この保護的とは、発病に関与する遺伝子変異体が存在する場合にその遺伝子の活動を阻害し、発病を防いでくれるという意味があり、マウスとヒトでは配列の類似性が高いため、本実験からさらに発展させるといずれヒトのADの保護的変異の同定につながることが伺える。[9]

保護的変異の同定は、核酸医薬の開発にもつながる。核酸医薬とはDNAやRNAといった遺伝情報を司る物質でDNAから転写されたmRNAやmiRNAに直接アプローチすることができる。また、高い特異性を持ち、従来の医薬品では狙いにくい細胞の標的分子を創薬ターゲットにすることが可能である。[10] 今後の研究の発展により、ADの保護的変異から合成された核酸医薬品がAβの蓄積を減少させ、認知症の根治が実現する日が来ることが楽しみである。

(文責:陣内響子)

参考文献

[1] 厚生労働省 令和元年簡易生命表

[2] 厚生労働省 令和2年版高齢社会白書 2-2, 健康・福祉

[3] Panasonic パナソニックのエイジフリーみんなの介護相談Q&A

[4] 厚生労働省 認知症施策の総合的な推進について

[5] エーザイ株式会社 相談e-65.net

[6] 東京都県境長寿医療センター 老化制御研究チーム 分子老化制御

[7] 和歌山県立医科大学附属病院認知症疾患医療センター 認知症のお薬について

[8] Takashi Saito, Yukio Matsuba, Naomi Mihira, Jiro Takano, Per Nilsson, Shigeyoshi Itohara, Nobuhisa Iwata and Takaomi C. Saido. “Single APP knockin mouse models of Alzheimer’s disease”. Nature Neuroscience, 2014, doi:10.1038/nn.3697

[9] Kenichi Nagata*, Mika Takahashi, Yukio Matsuba, Fumi Okuyama-Uchimura, Kaori Sato, Shoko Hashimoto, Takashi Saito, and Takaomi C. Saido* (*co-corresponding authors), “Generation of App knock-in mice reveals deletion mutations protective against Alzheimer’s disease-like pathology”, Nature Communications, 10.1038/s41467-018-04238-0

[10] 核酸医薬品開発のルクサナバイオテク株式会社 核酸医薬とは

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