CAR-T療法によるがん治療

日本のがん研究について

コロナウイルスで世の中が騒がしい昨今、感染者と死亡者が大々的に報じられ、多くの医療従事者がその対応に追われている。しかしそれ以前から多くの医者や研究者を悩ませ、日本人の最も多い死因となっているのが悪性新生物、通称がんである。令和元年(2019)人口動態統計月報年計(概数)の概況の結果の概要によると、悪性新生物<腫瘍>は一番目に多い死因であり、二番目の心疾患と比べても二倍近い割合である。現在主要ながんの治療法は外科手術による摘出、抗がん剤などを用いた薬物療法、放射線治療などがあるが、どの方法もそれぞれの長所と短所があり、がんの完全な克服には至っていない。そこで近年注目を集めている療法がある。CAR-T(キメラ抗原T、Chimeric Antigen Receptor T)細胞療法である。人の免疫機構で重要な役割を担っているT細胞が用いられる、免疫療法の一種である。日本では主に白血病などの血液がんに対する新しい有効な治療法の可能性として2019年の3月に初めて承認されている。

CAR-T療法とは

CAR-T細胞はキメラ、という名前が付けられていることからもわかる通り、人工的に造られた細胞である。本来のT細胞にはTCR(T細胞受容体、T Cell Receptor)が表面に発現しているが、その部分がCARとなっている。CARは3つの部位からなっている。B細胞受容体、もしくは抗体が由来のH鎖とL鎖からなる一本鎖抗体の結合部位(scFv)、細胞膜貫通部位、細胞内部位である。結合部位は標的にする物質によって構造が異なる。細胞内部位は基本的にCD3ζ鎖が基本となっているが、開発が進むにつれて活性化による細胞内への伝達を強めるためにCD28や4-1BB/ICOSなどの物質が追加されている。従来のT細胞は活性化するまでに抗原処理、抗原提示、MHC(主要組織適合遺伝子複合体、Major Histocompatibility Complex)を介したT細胞の活性化と、多くの段階を踏まなければいけないことと、MHCによって提示された抗原のみを認識するなど制限が多い。このT細胞の活性化までの過程はがん細胞が免疫から逃れるための手段としてもつかわれるなど問題もあった。CAR-T細胞は結合部位に抗体由来の構造を持つため、これらの過程を省略することができ、特異的にがん細胞の表面のたんぱくや糖鎖を認識し攻撃することができるというB細胞の強みを手に入れることができるとされている。

療法としては1.アフェレーシスなどによる患者の体内からのT細胞の採取、2.ウイルスベクターなどを用いたT細胞の改変、3.改変したT細胞の増殖、4.増殖させた改変T細胞の品質の検査、5.制御性T細胞の抑制を目的とした化学療法、6.改変したT細胞の患者への投与、である。

CAR-T療法におけるゲノム編集

CAR-T細胞は改変を受けるときにウイルスベクターなどが用いられると前述したが、この方法はウイルスが細胞のがん化に関係する遺伝子の付近への挿入する頻度が高いため、その安全性への懸念からウイルスベクターを用いないゲノム編集が模索され、現在ではトランスポゾンを用いた方法やCRISPR-Cas9などを使ったゲノム編集も導入されてきている。CRISPR-Cas9は遺伝子を切るというハサミの役割と遺伝子を導入するという役割を担っている。T細胞にもともと発現しているTCRの領域、TCRAとTCRBを切断し、CARを発現させるための遺伝子を組み込むことでCAR-T細胞へと改変することができる。この時に結合部位(scFv)を標的にする物質によって変化させることが可能である。現在ではCD19というB細胞特異的分子で多くのB細胞型の腫瘍に多く発現している膜貫通糖タンパクを標的としたCD19-CAR-Tによる療法が有効であるという結果が出ている。これはCD19がB細胞性白血病やリンパ腫細胞に多く発現しているが、正常な臓器の細胞や造血幹細胞には発現していないことで他の部位に影響を与えることなくがん細胞を攻撃することができるからだと考えられる。正常なB細胞も抑制されてしまうため血中に免疫グロブリンが不足してしまう低ガンマグロブリン血症の可能性が出てくるが、これは免疫ブロブリン製剤を投与することで重傷を免れることができる。そのほかにはBCMA(B細胞成熟抗原、B-Cell Maturation Antigen)というB細胞から分化した形質細胞などに発現している物質を標的にすることによって多発性骨髄腫などの治療に用いられることもある。CRISPR-Cas9はCARの遺伝子導入だけでなく、他の免疫に関する遺伝子を切り取る、ノックアウトすることによってCAR-T細胞の効果をより強力にすることにも用いられている。マウスを使った研究によるとCAR-T細胞のPdcd1という遺伝子をノックアウトすることによって有効性が高まったことがわかっている。Pdcd1は細胞障害性T細胞の表面に発現する受容体であるPD-1をコードする遺伝子である。PD-1とそのリガンドであるPD-L1、もしくはPD-L2は免疫チェックポイントのタンパク質として機能しており、自己免疫を起こさないための重要な役割を果たしている。PD-L1もしくはPD-L2は通常抗原提示細胞に発現しているが、がん細胞の中にもPD-L1を発現するものがいると、これを用いて免疫から逃れることに悪用されることになる。PD-1とPD-L1が結合し、T細胞がサイトカインの産生を低下させ、T細胞の活動が抑制され、がん細胞は細胞障害性T細胞からの攻撃を免れる、という仕組みである。Pdcd1をノックアウトするとT細胞がPD-1を発現させることはなくなり、PD-1とPD-L1の結合による活動の抑制を受けずにがん細胞を攻撃することが可能になるため、より効果が強くなると考えられている。これは免疫療法の一種であるPD-1、もしくはPD-L1阻害剤の原理をCAR-T療法に応用した形となっている。

問題点

CAR-T療法はがんそのものを体内で直接攻撃できるという画期的かつ効果的な療法であるが、問題点も多い。まずは治療中に問題が起きることがある。CAR-T細胞は活性化する際に多量のサイトカインを放出する。サイトカインの量が身体の許容できる量よりも多くなることによる全身的な炎症が起きるというサイトカイン放出症候群の発症がみられる。治療が一時的に成功したとしてもがんが再発するという報告もされている。これはCARが標的とする物質の発現をがん細胞が低下させる、もしくは患者に投入したCAR-T細胞が長期間残存しないといったことに起因する。CAR-T細胞の長期的な残存の方法を模索する、もしくは複数の抗原を認識できる受容体を開発するなどの対策が必要となってくる。また、CAR-T細胞は血液性腫瘍への有効性は確認されているが、固形がんに対しての効果が限定的であるという問題がある。これは正常な臓器を誤って攻撃せずにがん細胞のみを攻撃できることを可能にする標的となる抗原の選定が難しいということと、CAR-T細胞を目的の部位へと移送することが困難であるということである。血液中に存在するがん細胞を攻撃すればよい血液性の腫瘍とは異なり、がんが存在する臓器に免疫細胞を移送することは移動を制限する機構により阻害され、非常に難易度が高いことがわかる。

今後の展望

CAR-T療法を確立するためには問題点として挙げた課題の克服は不可欠であり、副作用への対処、新たな受容体の開発、CAR-T細胞の移動の強化などの研究が行われている。またそれと同時に、非自己のT細胞を用いたCAR-T細胞の開発も行われている。従来の療法は患者からT細胞を採取してそれを改変し、患者に投与するという形であったが、これは患者の状態によって採取できるT細胞の質、量などが左右されてしまい、安定した治療ができないとともに、量産することができないことにより費用が高くなってしまうという欠点があった。しかし他人から採取されたT細胞を用いてCAR-T細胞を作り、患者に投与することができれば、安定した治療効果が得られるとともに常に一定量を準備することができるため低費用であり供給も安定するといったものである。しかし非自己の細胞であるがゆえに患者に投与したときに拒絶反応が起き投与した細胞が体内で残存できないといった課題も抱えている。これらの点が改善されたときには、この療法はがんに対する新たな回答になる大きな可能性を秘めており、今後の研究に多くの期待が寄せられている。

(文責:博源)

参考文献

Jindal, V., Khoury, J., Gupta, R., & Jaiyesimi, I. (2020). Current Status of Chimeric Antigen Receptor T-Cell Therapy in Multiple Myeloma. American Journal Of Clinical Oncology, 43(5), 371-377. doi: 10.1097/coc.0000000000000669

Rupp, L., Schumann, K., Roybal, K., Gate, R., Ye, C., Lim, W., & Marson, A. (2017). CRISPR/Cas9-mediated PD-1 disruption enhances anti-tumor efficacy of human chimeric antigen receptor T cells. Scientific Reports, 7(1). doi: 10.1038/s41598-017-00462-8

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中沢洋三(2013). キメラ抗原受容体(CAR)を用いた遺伝子改変T細胞療法, 信州日誌, 61(4), 197-203

abcam「がん免疫療法とPD-1/PD-L1 チェックポイント・シグナル伝達」

BECKMAN COULTER サイトメトリードットコム「抗ヒトCD抗体」 

がん治療新時代WEB「治療開始は年内?国内初の遺伝子改変がん免疫療法「CAR-T細胞療法」」

厚生労働省「令和元年(2019)人口動態統計月報年計(概数)の概況、結果の概要」

日本がん免疫学会「遺伝子改変T細胞」

NOVARTIS 「CAR-T細胞療法」

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