【導入事例】ゲノム編集ノックアウトマウスを用いた、がん幹細胞におけるリゾリン脂質代謝の意義の解明(広島大学 仲先生)

2018年4月、広島大学 原爆放射線医科学研究所の仲一仁准教授よりGdpd3ノックアウトマウスの作製を依頼いただき、弊社は外部ブリーダーを通じて当年9月にF0マウス3匹を納品いたしました。その後、2020 年 9月 17 日、このGdpd3ノックアウトマウスを使った仲准教授たちの研究成果が、英国オンライン科学誌 『Nature Communications』において発表されました [1]。そこで、研究の背景や今後の展望についてお話を伺いました。
Index
慢性骨髄性白血病の再発とがん幹細胞
慢性骨髄性白血病(CML: chronic myelogenous leukemia)は、かつては不治の病でしたが、2001年に原因遺伝子産物BCR-ABL1を標的とするチロシンキナーゼ阻害剤(TKI: tyrosine kinase inhibitor)が開発されたことで患者さんの治療は劇的に改善しました [2]。そして、現在では、どのようにしてTKI治療後の再発を克服するかが重要な課題となっています。これまでに、TKI の治療により寛解状態を維持した患者さんで治療を中止してみるという臨床研究が行われていますが、およそ半数の患者さんでは根治しており、残りの患者さんでは再発が起こることが報告されています [3]。
近年、このようなCMLの再発の原因となる細胞として、CML幹細胞の存在が知られています。CML幹細胞は、CML細胞を生み出すもとになる細胞です。その一方で、CML幹細胞自身は増殖活性が低い「休眠状態」を維持することで、長期間の維持能力やTKI抵抗性を獲得しています。TKIは、増殖活性の高いCML細胞に治療効果を示しますが、CML幹細胞は増殖活性が低いためTKIが作用しにくいと考えられています。そのため、TKI治療をおこなってもCML幹細胞が生存し続け、再発の原因になるとされています。

そこで私たちは、CML幹細胞の生存維持や休眠状態の制御に関わるメカニズムを解析し、CML幹細胞をターゲットとする新しい治療法の研究をおこなっています。
CML幹細胞ではリゾリン脂質酵素の発現が亢進している
私たちは、以前、CMLのマウスモデルを構築し、CML幹細胞を分離することに成功しました [4]。このCML幹細胞においてRNA-Seqにより遺伝子発現プロファイルを解析しました。そして、CML幹細胞ではリゾリン脂質代謝を行うGdpd3が強く発現していることを見いだしました。一般に、リン脂質は2本の脂肪酸を持つのに対して、リゾリン脂質は脂肪酸を1本しかもたないためリン脂質に比べて親水性が高く、それ自身生理活性を有すると考えられています。Gdpd3は、このようなリゾリン脂質を加水分解してリゾホスファチジン酸(LPA: lysophosphatidic acid)を産生する酵素として報告されています。しかし、なぜ、CML幹細胞はGdpd3を高発現しているのか、リゾリン脂質の役割はこれまで明らかでありませんでした。
そのような時、研究室にセツロテックの担当者様がお見えになられ、私たちはGdpd3ノックアウトマウスの作製を決断しました。この運命的な出会いにより、これまで未知のCML幹細胞におけるGdpd3研究へのチャレンジが始まりました。
Gdpd3ノックアウトマウス由来のCML幹細胞は休眠状態を維持できない
当初、生まれたGdpd3ノックアウトマウスに目立った異常はありませんでした。しかし、それは、幹細胞の研究を行うときにはよくあることです。生体内において非常に少数しか存在しない幹細胞において、その特異的な制御に関わる機重要な分子ほど、表面的な特性は見えにくいものです。また、もしも、がん幹細胞に特異的なメカニズムを見つけることができれば、副作用が少ない治療方法となることを暗示しています。私たちは、早速CML幹細胞の連続移植を行い、機能評価を開始しました。Gdpd3ノックアウトマウスと、比較対象として野生型マウスから造血幹細胞を取り出し、BCR-ABL1遺伝子を導入して移植(1次移植)を行いました。私は、もしかすると、Gdpd3ノックアウトマウス由来のCML幹細胞は、その機能が低下して、CMLを発症しなくなるのではないかと予測(期待)していました。しかし、結果は真逆で、Gdpd3ノックアウトマウス由来のCML幹細胞では、野生型マウス由来のCML幹細胞に比べて白血病発症能が高く、全てのマウスが先に死亡してしまいました。このことは、Gdpd3ノックアウトマウス由来のCML幹細胞は休眠状態を維持できず、増殖活性が高くなっていることを示す結果ですが、それと同時に、長期間の幹細胞性の維持能力が低下していることを示唆する重要な結果でもあります。このことを証明するため、1次移植マウスからCML幹細胞を純化して別の野生型マウスに移植(2次移植)を行うと、(今度は予想どおり)Gdpd3ノックアウトマウス由来のCML幹細胞ではCML発症能がほとんど失われていることがわかりました。実際に、BrdUのパルスラベルによってCML幹細胞の増殖能について調べると、BrdU陽性で示される細胞周期のS期の細胞が有意に多く見られました。これらの結果から、Gdpd3遺伝子が欠損することでCML幹細胞の増殖能が亢進し、休眠状態が維持できないことが証明されました。
さらに、Gdpd3ノックアウトマウス由来のCML幹細胞では細胞増殖を促すAKT/mTORC1パスウェイが活性化していることや、CML幹細胞の維持に関わるFoxo3aの活性が低下していることもわかりました。
最後に、CML幹細胞に対するTKI抵抗性を評価した結果、Gdpd3ノックアウトマウス由来のCML幹細胞を移植したマウスではTKI(ダサチニブ)を投与した後の再発が低下することがわかりました。これらの結果から、Gdpd3によるリゾリン脂質代謝はCML幹細胞の生存維持に必須な役割を担っており、Gdpd3遺伝子の欠損によりCML幹細胞の休眠状態が維持できなくなってTKI抵抗性が低下することが明らかになりました。
今後の展望
これまで、多くを占めるCML細胞ではBCR-ABL1などによるオンコジンに依存的なメカニズムによって増殖能を獲得していることが知られています。抗がん剤による治療ではこの増殖活性を抑制することで治療効果が得られます。しかし、CML幹細胞では、オンコジン非依存的なメカニズムによって休眠状態を獲得しており、そのため抗がん剤による治療を難しくしています。今回、私たちはGdpd3によるリゾリン脂質代謝パスウェイによるCML幹細胞の休眠メカニズムの一端を解明することができました。

今後、Gdpd3を阻害する分子標的薬を開発できれば、TKIと併用することでCML患者の再発を改善できる可能性があります。また、他のがんのがん幹細胞においてもGdpd3によるリゾリン脂質代謝の機能解析を行いたいと考えています。オンコジン非依存的なリゾリン脂質代謝を標的とする新しいコンセプトのがん再発治療の開発につながればと思います。
セツロテックへの要望
セツロテックでのノックアウトマウスの作製では、依頼してから届くのに約4カ月と早く、すぐに解析に取り掛かることができました。これはセツロテックの品質と社員の皆様の誠実なご対応の賜物と考えています。ノックアウトマウス作製は他に替えがたい価値があり、今後も研究を継続していきたいと考えております。
また、遺伝子改変マウスの樹立はゲノム編集の技術が最も活かされる領域と考えています。今後、floxマウスの樹立など、ゲノム編集技術のアドバンテージを活かした遺伝子改変マウス樹立の開発をすすめていただけたらと思います。
取材後記
ノックアウトマウスを用いた解析といえば表現型を観察することが多いのですが、遺伝子欠損のがん幹細胞を単離して病態モデルマウスを作製するというユニークなアプローチを採用しているのが印象的でした。
<参考文献>
- Naka K, Ochiai R, Matsubara E, et al. The lysophospholipase D enzyme Gdpd3 is required to maintain chronic myelogenous leukaemia stem cells. Nat Commun. 2020; 11(1): 4681.
- Kantarjian H, O’Brien S, Jabbour E, et al. Improved survival in chronic myeloid leukemia since the introduction of imatinib therapy: a single-institution historical experience. Blood. 2012; 119(9): 1981-1987.
- Mahon FX, Rea D, Guilhot J et al. Discontinuation of imatinib in patients with chronic myeloid leukaemia who have maintained complete molecular remission for at least 2 years: the prospective, multicentre Stop Imatinib (STIM) trial. Lancet Oncol. 2010; 11: 1029-1035.
- Naka K, Hoshii T, Muraguchi T, et al. TGF-b-FOXO signalling maintains leukaemia-initiating cells in chronic myeloid leukaemia. Nature. 2010; 463(7281): 676-680.
