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ゲノム編集で遺伝子ドーピング!? ~ゲノム編集の悪用から学ぶべき教訓とは~

2024.08.02

ゲノム編集で遺伝子ドーピング

オリンピックとドーピング

2021年、約1年遅れの無観客開催となった東京2020オリンピックは、COVID-19の流行下における開催については賛否両論がありましたが、この大会に向けて魂を注ぐ選手たちからポジティブな影響を受けた方々も多かったことでしょう。しかし、そんな東京五輪においても、残念ながら多くのドーピング事例が報告され、資格停止処分やメダル剥奪などの悲しいニュースがありました。また、複数の選手に対してドーピングの使用疑いが持ち上がっており、前回大会までにも取り沙汰されてきたドーピング問題は、この大会においてもなくなることはありませんでした。

今回は、パリ五輪を目前に控え、近年スポーツ界の大きな問題となっている「ゲノム編集技術を用いた遺伝子ドーピング」[1]について迫り、ゲノム編集技術に対する我々の向き合い方について考えていきたいと思います。

遺伝子ドーピングとは?

まず、世界アンチ・ドーピング機構(WADA)によると、遺伝子ドーピングは次のいずれかであると定義しています。日本アンチ・ドーピング機構HP [1]にある日本語訳を引用しつつ解説します。

1. 何らかの作用機序によってゲノム配列および/又は遺伝子発現を変更する可能性がある核酸又は核酸類似物質の使用。以下の方法が禁止されるが、これらに限定するものではない:遺伝子編集、遺伝子サイレンシングおよび遺伝子導入技術。
2. 正常なあるいは遺伝子を修飾した細胞の使用。

1 は、核酸ないし核酸アナログを使用してゲノム配列やゲノムの発現を変化させることを禁止する条項です。ゲノム編集に限らず、遺伝子導入や遺伝子サイレンシングについても同様としています。なお、遺伝子サイレンシングとは、人工的に合成したアンチセンス核酸と呼ばれる、mRNAに相補的に結合する物質を用いてタンパク質の翻訳を抑制する技術のことをいいます。

2 は、自らのもとの細胞以外である、正常ないし遺伝子の修正された細胞を使用することを禁止する条項です。
つまり、遺伝子ドーピングとは人工的に合成されたドーピング製剤を使用するのではなく、ゲノム編集技術などを用いて人体の遺伝子を直接編集することで遺伝子の発現を調節し、運動機能を向上させるというものです。

遺伝子ドーピングにおいては、例として以下のようなタンパク質の合成に関わる遺伝子が標的になっているようです[2]。

●エリスロポエチン[3]

エリスロポエチンは、赤血球の表面にある受容体に結合して赤血球の産生を増加させる働きを持つタンパク質です。エリスロポエチンをターゲットとする遺伝子ドーピングは体内の各組織の酸素取り込み量を増加させ、持久力の向上に繋がるとされています。

●成長ホルモン[4]

成長ホルモンは、脳下垂体前葉において産生されるホルモンです。代謝の亢進や骨や筋肉の成長に関わり、筋力増強に繋がるとされています。

●血管内皮増殖因子[5]

血管内皮増殖因子は、低酸素状態において血管内皮細胞から放出されることで血管新生を促す性質を持つタンパク質です。血管内皮増殖因子が増えると、筋肉への流入血量が増大し、筋肉の疲労を遅延するとされています。

その他にも様々な遺伝子ドーピングの対象があることが知られていますが、ゲノムに直接アプローチするということもあり、皮肉にも遺伝子ドーピングは大きな影響を与える可能性があるのです。

遺伝子ドーピングがなぜ問題視されているのか?

ここまで紹介した遺伝子ドーピングは従来のドーピング以上に危険視されています[6]。その主な理由として、次の3つが挙げられます。

①半永久的な効果により遷延する副作用の影響
従来のドーピングは、薬剤などを直接投与するタイプのドーピングであり、投与された物質は最終的には代謝されて排泄されるものがほとんどです。そのため、投与した物質自体が永久的に作用し続けることはほとんどありません。(ただし、ドーピングにより増強された筋力などはしばらくの間維持されてしまいます。)

しかし、遺伝子ドーピングは体細胞のゲノムを直接編集するため、編集された全ての体細胞が細胞死でも起こさない限りは編集された遺伝子の影響が半永久的に残り続けます。つまり、遺伝子ドーピングによる人体への副作用も半永久的に残り続け、選手は引退後も健康を危険にさらされ続けながら生活することになるのです。

②オフターゲット効果やモザイクが与えうる人体への未知の影響
オフターゲット効果とは、ゲノム編集の際に標的ではない塩基の切断が起こる現象です。遺伝子ドーピングを行った人体にオフターゲット効果が起これば、筋肉や臓器が正常な働きを失ったり、最悪の場合死に至ったりする可能性も否定できません。

また、遺伝子ドーピングは、基本的に成人の数十兆個あるとされる体細胞の一部を対象に行われることになるため、その選手の体内は遺伝子変異が生じた体細胞と変異のない体細胞が混在した状態になります。この状態を「モザイク」といいます。体細胞のモザイク状態が人体に与える影響は未だ完全に解明されておらず、何らかの悪影響を与える可能性も否定できないとされています。

③遺伝子ドーピングの検出は困難である
遺伝子ドーピングの検出の困難さこそが現在ドーピングを企てる国や組織が遺伝子ドーピングに注目する最大の理由と言えるでしょう。

従来の多くのドーピング禁止物質は、体内で代謝されてから尿中に排泄されるため、従来のドーピング検査は選手の尿を用いるのが一般的です。しかし、遺伝子ドーピングは人体のゲノムを直接編集するため、運動機能の向上に寄与する物質は全て生体由来となり、選手が意図的にドーピング違反物質を摂取したという明確な証拠を出すことが非常に困難となります。理論上は選手の筋肉を組織生検によってサンプリングすることで検出することが可能であるが、それはあまりにも侵襲性が高く、到底認められる検査ではないでしょう。

どのように遺伝子ドーピングを検査する?

最初に考案された遺伝子ドーピング検査は、PCR検査と呼ばれる手法を用いるものである。PCR検査とは現在大流行中のCOVID-19の検査にも使用されている検査であり、ご存じの方も多いでしょう。

通常、ヒト遺伝子の大部分には、実際にタンパク質をコードするエクソンと呼ばれる部分と、コードしないイントロンと呼ばれる部分が含まれています。遺伝子ドーピングでは、通常、導入される遺伝子はイントロンを含まない相補的なDNAであるため、この部分をPCR検査によって検出するという仕組みです[7]。PCR検査は高い特異度と感度を備えているうえに2時間ほどで結果が得られるというメリットがあるので、このように遺伝子ドーピングの検査にも応用されているというわけです。

しかしその一方で、一度の検査で検出できる標的遺伝子が多くないこと、人工イントロンの導入により検出を回避できてしまうなどの欠点もあるといいます。

そこで「次世代シークエンシング」を用いる手法が検討されています。次世代シークエンシングとは、数千から数百万ものDNA分子を同時に配列決定することができる強力な手法です[8]。既に次世代シークエンシングを利用して人為的に導入された遺伝子を検出する手法は開発されており、PCRによる遺伝子ドーピング検査方法の欠点を補う手法として期待されています。しかし、次世代シークエンシングによる手法はコストが高く、感度も高くないという欠点があります。

このように、いくつかの遺伝子ドーピングの検査方法が検討されていますが、コストや正確性の面から全てを満たす手法は未だ実現していません。また、適切な検査方法が見つかったとしても往々にしてイタチごっこになりうるため、遺伝子ドーピングの規制は困難を極めることが予想されています。

フェア・スポーツの精神と、これからのゲノム編集技術の未来のために

今回は、ゲノム編集技術を用いた遺伝子ドーピングについて紹介しました。スポーツが感動をもたらすことができるのは、フェア・スポーツの精神のもと、正当な方法で努力し、積み上げた能力・技術によって生み出される場合のみです。ゲノム編集技術が一部の人の私利私欲のために利用され、他の人が不当に不利益を被るようなことが起きてしまえば、今後ゲノム編集技術そのものに規制がかけられてしまう可能性もあるでしょう。選手の心身を守り、そして「フェア・スポーツ精神」のもとで協議が行われるよう、遺伝子ドーピングのような、ゲノム編集技術の悪用に対して、私たちは声を上げ続けていかなければなりません。

参考文献

[1] 公益財団法人日本アンチ・ドーピング機構 HP 2022 年禁止表国際基準 (日本語/英語 併記)
[2] van der Gronde T, de Hon O, Haisma HJ, et alGene doping: an overview and current implications for athletesBritish Journal of Sports Medicine 2013;47:670-678.
[3] NCBI. “Erythropoietin”
[4] NCBI. “Physiology, Growth Hormone”
[5] NCBI. “VEGFA vascular endothelial growth factor A [ Homo sapiens (human) ]”
[6] 東京五輪まであと1年、「遺伝子ドーピング」という魔力
[7] Baoutina, A., Coldham, T., Bains, G. et al. Gene doping detection: evaluation of approach for direct detection of gene transfer using erythropoietin as a model system. Gene Ther 17, 1022–1032 (2010). https://doi.org/10.1038/gt.2010.49
[8] コスモ・バイオ株式会社. 「次世代シーケンシング(NGS)とは」