ゲノム編集魚で水産業界を救う!? ~海を耕すマダイとトラフグ~

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クラウドファンディングの衝撃
2021年9月、大手クラウドファンディング「CAMPFIRE」に登場した1つの挑戦が水産業界を大きく賑わした。その挑戦を行ったのは京都府にある「リージョナルフィッシュ株式会社」。彼らは世界初のゲノム編集技術を利用して開発されたマダイ、名付けて「22世紀鯛」を販売すべくクラウドファンディングに名乗りを上げた[1]。目標金額を100万円と設定して9月17日に始まったこのプロジェクトは、わずか14日間で231人の支援者によって合計320万円を超える支援を獲得し、9月30日をもって無事終了となった。
さらに同社は翌10月29日、ゲノム編集技術魚の第二弾として、通常と同じ生育期間で体重が1.9倍に成長する「22世紀ふぐ」のクラウドファンディングを開始した[2]。このプロジェクトも大きな話題を呼び、11月26日現在で380万円を超える支援金額を集めている。
そこで今回は、日本人が愛して止まない魚食文化に着目し、日本国内の水産業界の課題と「22世紀鯛」「22世紀ふぐ」といったゲノム編集を用いた課題解決について扱っていこう。なお、以前取り上げた「ゲノム編集培養肉」に関する記事[3]も併せてお読みいただくことで、我々の食卓の未来を考えるきっかけを得ていただければ幸いである。
水産業界の現状
まずは日本の水産業界の現状について知るところから始めてみよう。
水産庁が公開した「令和2年度 水産白書」によれば、2019年度の我が国における国内漁業・養殖業の生産量は420万トン(前年比-5%)であり、これは生産額換算で1兆4918億円(前年比-7%)となった[4]。また、食用魚介類の国内自給率も2019年時点で56%となり、ピークであった1964年度の113%から半減する形となっている。
こうした国内の漁獲生産量の減少に伴い、2019年度の漁船漁業を営む国内の会社経営体の利益は平均725万円の赤字となった。COVID-19やそれに伴う原油価格の高騰なども追い打ちとなっており、経営体の大きくない水産業者を中心に非常に苦しい状況が続いていると言えるだろう。
次に消費の観点から見てみよう。2019年の魚介類の国内消費仕向量は724万トンであった。そのうち568万トン(78%)が食用消費仕向け、156万トン(22%)が飼肥料消費仕向けであり、10年前と比較して192万トン(21%)の減少となっている。
国民一人当たりの食用魚介類の消費量についても、2019年度は一人当たり23.8kgとなり、ピークであった2001年度の40.2kgから大きく減少している。
このように我が国の水産業は生産・消費の両面から衰退傾向にあることが分かるだろう。
水産業界の課題
以上に挙げたような我が国の水産業界の低迷は、以下の2つの観点から説明することができる。
①人間の生産活動の変化
日本列島は周囲を海洋で囲まれた海洋国家である。また山脈が多いために大量の雨によって河川が多く形成されており、魚を捕りやすい環境にある。縄文時代には既に魚食が行われていたとも言われており、昔から日本人の食文化は魚とともに発達してきた。
しかし、時代が進むにつれて外国の食文化が流行し、日常生活の中で魚を食べる機会は減ってしまった。実際、FAO(国際連合食糧農業機関)の調査によれば、2005年には日本人は一人あたりの魚介類の消費量が世界第一位であったが、2013年には第七位にまで低下したという[5]。
さらには近年、東南アジアの海洋諸国をはじめとして世界中の国々から安価な水産物が輸入されるようになった。水産物消費量に対する輸入品の割合は年々増加しており、国内のスーパーマーケットの鮮魚・水産加工品コーナーを見ても、今やその多くに外国産であることを示すラベルが貼られている。
②海洋環境の変化
しかし、水産業界における生産量・消費量の減少は、単に我々の食の嗜好や生産活動の変化だけで語ることはできない。水産業に関わる海洋環境には目を背けることができない様々な問題がある。
一般に水産資源は水温、海流、餌量等などの海洋環境の影響を強く受ける。近年問題となっている海洋環境の変化といえば、以下の図に示すような主に海水温の上昇が挙げられる(図1)。

このグラフは、1891-2010年の30年間の海水温の平均値である18.2℃を平年値として、1890-2020年の海水温について平年値からの差を示したものである。これを見ると分かるように、年平均海面水温は一貫して上昇傾向にある。特に2020年の年平均海面水温の平年差は+0.31℃と、統計を開始した1891年以降で3番目に高い値となった。
こうした海面水温の上昇を中心とする海洋環境の変化は、個体数の減少や回遊魚の回帰率の低下など海の生態系に様々な影響を与えている。日本周辺でも、ブリやサワラの分布域が北上して北海道における漁獲量が増加したり、九州沿岸で磯焼けが拡大したことでイセエビやアワビ等の磯根資源が減少するといった現象が観測されている[4]。さらに、サンマやスルメイカなど、近年不漁の続く魚介類の中には著しく価格高騰を続けているものもあり、こうした要因は食卓の魚離れをますます加速させている。
以上のように、人間の生産活動と海洋環境という2つの互いに影響を与え合う因子によって我が国の水産業界は厳しい状況に陥っている。このままでは、ユネスコ無形文化遺産にも登録された和食を支える魚食文化の存続が危ういだろう。
養殖業への注目
こうした問題の対策の一つとして、近年、水産業界では養殖業への注目が高まっている。養殖業は海洋資源を維持しながら水産物の需要を満たすことができるだけではなく、季節によらず一定の質の魚介類を生産できたり、需要に合わせた生産量管理ができたりと様々なメリットがあるため、水産業の課題解決に寄与する漁業法として大きく期待されている。
以下は水産庁が2017年に発表した国内の漁業形態別の生産量の推移を表した図である(図2)。

このグラフから、生産量のうち養殖業の占める割合は年々増加していることが分かるだろう。しかし、これは全体の生産量が減少していることが背景にある。そのため、我々は単に養殖業を推進するだけではなく、どのようにして環境を維持しながら効率の良い魚介類の生産を実現するかを考えなくてはならないだろう。そこで、ここからはこの課題を解決する方法としてゲノム編集を用いた養殖業の取り組みに注目していくことにしよう。
ゲノム編集技術が生み出す「ゲノム編集技術応用食品」とは?
まずはゲノム編集技術とは何か説明しよう。ゲノム編集技術とは、生物を構成する遺伝情報であるゲノムを人為的に編集して生物に従来とは異なる形質を獲得させる技術である。ゲノム編集技術は1996年に第一世代のZFNが発表され、その後2010年には第二世代のTALEN、2012年には第三世代のCRISPR/Cas9が発表された。CRISPR/Cas9は現在主流となっており、2020年には考案者のEmmanuelle Charpentier氏とJennifer A. Doudna氏らがノーベル化学賞を受賞したことでも知られている。(CRISPR/Cas9についての詳細はセツロテックMEDIAに掲載の筆者執筆の記事を参考にされたい[8])。
そしてゲノム編集技術応用食品は、その名の通りゲノム編集技術を用いて生み出された食品である。ゲノム編集技術応用食品は、ゲノムの特定の遺伝子をノックダウンさせて発現を低下させて生み出されるため、遺伝子組換え食品のように外来から遺伝子を挿入することがない。ゲノム編集技術応用食品において生じた遺伝子変異は、自然界で確率的に発生しうる変異と比較しても判断が困難なレベルであると考えられている。そのためゲノム編集技術応用食品の販売にあたっては、一部を除いて厚生労働省へ届け出るのみでよいという取り決めになっている(図3)。

このゲノム編集技術応用食品の第一号となったのは、筑波大学発のベンチャー企業「サナテックシード」が開発したゲノム編集トマト「シシリアンルージュハイギャバ」だ。シシリアンルージュハイギャバは血圧上昇を抑える効果のある「GABA」が一般的なトマトよりも豊富に含まれており、今年の10月からは一般向けに菜園用苗の販売が開始されている。
そしてゲノム編集技術応用食品の第二号、第三号、それが今回紹介する「22世紀鯛」と「22世紀ふぐ」である。
「22世紀鯛」とは?
22世紀鯛は、一般的な品種よりも少ない飼料で可食部を増量させたマダイだ。開発したのは京都大学と近畿大学が協同して立ち上げた「リージョナルフィッシュ株式会社」である。彼らは「欠失型ゲノム編集」と呼ばれるCRISPR/Cas9を用いたゲノム編集技術の1種を開発し、それを「ナノジーン育種」と名付けた。ナノジーン育種は、従来の食品開発のメジャーな品種改良の手法よりもずっと早く、安全に品種改良ができる手法であると説明されている[1]。
そして彼らはナノジーン育種により、マダイの受精卵において「ミオスタチン遺伝子」を欠失させることで22世紀鯛を生み出した。ミオスタチン遺伝子は筋肉の増殖を抑制する遺伝子であるため、これを欠失させることでマダイの筋肉の増殖が促進するという理屈である。その結果、22世紀鯛は可食部の筋肉の量を平均で1.2倍(最大で1.6倍)に増量することに成功した。さらに、飼料利用効率も14%改善しており、まさに環境にも生産者の経済的にも優しい食品であると言えるだろう[10]。
そして冒頭にも紹介したように、リージョナルフィッシュ株式会社は今年の9月17日に22世紀鯛のクラウドファンディングを開始し、わずか二週間で231人の支援者から合計300万円を超える支援を集めた。
この支援者の一人であるセツロテック代表取締役社長の竹澤氏に22世紀鯛を試食した感想を伺ったところ、「22世紀鯛は普通の鯛よりも筋肉のモチモチ感があり、昆布締めはかめばかむほど昆布の旨味が滲み出てきました。鯛しゃぶにすると、タラのような分厚い身から鯛の旨味をより噛み締めることができ、普通の鯛しゃぶはでは味わえない満足感を得られました。」というポジティブな感想を得ることができた。22世紀鯛は世界初のゲノム編集動物食品としてこの上ないスタートを切ったと言えるだろう。

(竹澤氏のFacebook投稿から引用。写真左側が普通の鯛の昆布締めで右側が22世紀鯛の昆布締め)
「22世紀ふぐ」とは?
そして22世紀鯛の後を追うように、リージョナルフィッシュ株式会社はゲノム編集動物食品第二弾として「22世紀ふぐ」を発表した。彼らは22世紀鯛と同様に、ナノジーン育種の技術を用いて「レプチン遺伝子」の欠失したトラフグを生み出した。レプチンは食欲を抑えるホルモンであり、レプチン遺伝子が不活性化した22世紀ふぐは一般的なトラフグの1.9倍の早さで成長するトラフグとなった。さらに、成長速度が速まったことで飼料の利用効率が42%も改善し、より少ない飼料で地球に優しい生育が可能となった。この22世紀ふぐのクラウドファンディングも11月26日現在で目標金額の100万円を大きく上回る380万円以上の支援を集めている。
ゲノム編集技術による水産業界の未来
今回は水産業界の現状と課題、そして2つのゲノム編集魚である「22世紀鯛」「22世紀ふぐ」について紹介した。この2つは現時点ではいずれも一般販売には至っていないが、地球環境に優しく味も良いゲノム編集魚が日本の食卓に並ぶ日はそう遠くないはずだ。コスト面などいくつか課題が残っているものの、これらの問題を乗り越えた先には水産業界の明るい未来が待っているに違いない。我々も食料問題や環境問題の当事者として今後もゲノム編集技術応用食品の動向に注目し続けたい。
(文責:柴田潤一郎)
参照
[1] CAMPFIRE「世界初!ゲノム編集技術を利用して開発された「22世紀鯛」を多くの人に届けたい!」
[2] CAMPFIRE「ゲノム編集によって生まれた地球にやさしい「22世紀ふぐ」を多くの人に届けたい!」
[3] 柴田潤一郎 「培養肉が世界を変える!? -ゲノム編集と食肉の未来に迫る」
[5] FAO. “Consumption of Fish and Fishery products.”
[6] 国土交通省気象庁「海面水温の長期変化傾向(全球平均)」
[7] 水産庁「平成29年度 水産白書 (1)漁業・養殖業の国内生産の動向」
[8] 柴田潤一郎 「CRISPR/Cas9技術を応用したがん治療の未来 -ノーベル賞受賞技術の共演はあるのか-」