植物のゲノム編集は我々に利益をもたらすか -世界のレビュー論文から見えてくる希望と課題-
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ゲノム編集トマトの衝撃
2020年12月、我が国初のゲノム編集食品に関する届け出が厚生労働省により受理された。届け出が受理されたのは、筑波大学と同大学発のゲノム編集スタートアップであるサナテックシード株式会社(現サナテックライフサイエンス株式会社)により開発された、血圧上昇を抑制されるとされているGABAを豊富に含むトマトである[1]。
今回のようにゲノム編集食品が注目を集めるようになった理由の一つとして、2019年10月から適用されている届け出制度の影響が挙げられるだろう。外来から別種の遺伝子を組み込む遺伝子組換え食品とは異なり、ゲノム編集食品は、ゲノムの特定の遺伝子をノックアウトさせるだけで形質変化を生じさせることを目的としている。
そのため、厚生労働省は、「編集したオフターゲットの遺伝子変異が、自然界でも確率的に発生しうる変異と比較しても判断が困難なレベルであり、導入遺伝子が残存しない場合、遺伝子組み換え食品とは異なる扱いをすることは妥当である」という旨を提言している。これにより、多くのゲノム編集食品は、厚生労働省への届け出のみで流通させることができるようになり、参入障壁が格段に下がりつつあるのだ。(ゲノム編集食品と遺伝子組換え食品についての詳細はセツロテックMEDIAに掲載の筆者執筆の記事を参考にされたい[2])。
今回のサナテックシード株式会社(現サナテックライフサイエンス株式会社)によるトマトを旗振り役として、我々の食卓にゲノム編集食品が並ぶ未来はそう遠くないと言えるだろう。いずれは、当たり前のように(あるいはゲノム編集による食品であることを知らないうちに)我々はゲノム編集食品を口にすることになるかもしれない。生産性が高く、人間にとって望ましい形質をもった食品は、人口爆発や農業従事者の減少を背景とした食糧問題の救世主となるだろう。
しかし喜んでばかりもいられない。我々が行おうとしているのは、他の生物種のゲノムを人為的に編集し、それを自然界で生産して口にするという行為である。その技術がどれだけ輝かしく思われても、そこには善悪さまざまな問題がつきまとう。我々はそれらに目を背けず、真っ向から解決する姿勢を持たなければならない。
そこで今回は、ゲノム編集食品の中でも植物に焦点を当て、2019-2021年の間に出版された3本のレビュー論文を紹介しながら、植物のゲノム編集作物の希望と課題をまとめていきたい。
ZFN, TALEN, CRISPR/Cas9と続くゲノム編集技術の進化
レビュー論文に入る前に、現在のゲノム編集の主要な技術を簡単に振り返ろう。第一世代のゲノム編集ツールとして開発されたのは、1996年に発表されたZFN(ジンクフィンガーヌクレアーゼ)である。ZFNは標的DNAに結合するZF(ジンクフィンガードメイン) とそのDNAを切断するFokIからなるゲノム編集ツールとして世界から注目を集めた。その後、2009年になり、植物病原細菌であるキサントモナスがもつ繰り返し配列(TALEリピート)がDNAの一塩基を特異的に認識し結合するという事実が発見され、TALEリピートを利用したTALENが第二世代のゲノム編集ツールとして用いられるようになった。(なお、現在でもTALENをメインで使用している企業もあり、そのひとつにTALEN開発者であるDan Voytas氏がCSOを務めるCalyxtなどがある。Calyxtについての詳細はセツロテックMEDIAに掲載の筆者執筆の記事を参考にされたい[3])。
そして今日、最も主要なゲノム編集ツールとして用いられているのは、セツロテックも取り組むCRISPR/Cas9である。CRISPR/Cas9は昨年の2020年のノーベル化学賞を受賞者であるEmmanuelle Charpentier氏とJennifer A. Doudna氏らによって提唱された技術である。CRISPR/Cas9は、標的のDNA配列を、tracrRNAと複合させたガイドRNAとcrRNA、さらにCas9と呼ばれるハサミの役割を持つ物質と一緒に導入することで、その配列を特異的に切断する。これにより目的の遺伝子をノックアウトさせたり、DNA切断に伴う修復機構を利用し、逆に外部からドナーDNA を導入することで目的の遺伝子をノックインさせたりすることもできるという技術だ。CRISPR/Cas9は、登場以降、画期的なゲノム編集ツールとして世界中に広まり続けている。研究用のゲノム編集マウスの作成、感染症やがん、さらには脊髄性筋萎縮症(SMA)の研究への応用など、とどまるところを知らない。
それではこれらの技術を植物に適応する上ではどのようなアプローチが必要だろうか? また、そこにはどのような課題が存在するだろうか?
レビュー論文から見えてくる植物のゲノム編集の課題
ここからは3つの論文を扱いながら、今後解決していくべきゲノム編集作物の主要な3つの課題を検討していこう。
①規制の再検討の必要性
まずは2019年1月にNational Science Reviewに投稿された、Yanfeni Mao氏らによるレビュー論文 ‘Gene editing in plants: progress and challenges‘ [4] から、ゲノム編集食品の規制について考えていこう。Yanfeni氏らによれば、CRISPR/Cas9やCRISPR/Cas12aなどの台頭により、植物においてもゲノム編集の研究は確実に進歩しているという。(CRISPRの分類についての詳細はセツロテックMEDIAに掲載の筆者執筆の記事を参考にされたい[5])。
しかし、その一方、植物のゲノム編集を作物育種に応用する上ではいくつもの障壁が存在している。その中でも一番大きな理由として、ゲノム編集作物が遺伝子組み換え生物(GMO)とみなされるべきかどうかについての議論が根強い。日本では、上述したように、2019年10月から法律でゲノム編集作物とGMOの基準が設けられ、両者は区別されるようになった。ゲノム研究が盛んな米国でも同様の判断がなされているが、その一方、ヨーロッパではゲノム編集作物はGMOと同様に見なされており、非常に厳しい制限下にある。また、そもそも国際的な規約が存在しないため、地域ごとの認識の差が生じ、輸出入に制限がかかっていることが多い。多くの作物が輸出入により国を超えている事実と照らし合わせると、これが研究の行く手を阻む要因となっていることは優に想像ができる。
Yanfeni氏曰く、ゲノム編集作物へのこうした扱いは「根拠のない懸念」であり、規制を再検討する必要があるという。CRISPRによって誘発される遺伝子変異のほとんどは大きな遺伝子断片の挿入や配列変更ではなく、小規模な挿入や欠失(インデル)であり、自然条件下で生育した植物に頻繁にも見られ、放射線や化学的変異原を用いて大規模に誘発することも可能であるため、従来の作物と同様に扱われるべきだとYanfeni氏は主張している(これはまさに日本が下した決定と同じである)。
また、規制の再検討だけではなく、ゲノム編集作物が社会に受け入れられるかどうかも大きなテーマの一つであろう。いくら法律が認めていようとも、「生物のゲノムを編集している」と聞くと、我々はSF映画などをイメージして漠然とした根拠のない不安を抱えてしまう。技術的には画期的なゲノム編集食品であったとしても、それらを口にする一般の人々の理解が得られなければ、世の食卓に普及する蓋然性は低いだろう。科学領域の研究者以外にゲノム編集食品の有用さをどのように伝えるかは、今後重要なテーマの一つとなってくるはずだ。
②オフターゲット効果
次に、技術的な課題として、オフターゲット効果がたびたび挙げられる。オフターゲット効果とは、CRISPR/Cas9におけるgRNA配列のミスマッチの許容性などが原因で、本来の目的とは異なる別の標的の切断を起こし、不可逆的な遺伝子変異を引き起こす現象を指す。近年、機械学習や深層学習を用いた様々なツールにより、対象のgRNAをより正確に予測しようとする試みも登場しているが、これらのツールにはまだまだ多くの課題が存在しており、オフターゲット効果の完全な解決には至っていない。(これらの詳細はセツロテックMEDIAに掲載の筆者執筆の記事を参考にされたい[6]。)
しかし、さきほどのYanfeni氏らによれば、オフターゲット効果だからといって必ずしも作物に負の影響を与えるわけではないという。オフターゲット効果の中でも、我々にとって望ましい変異をもたらすものや、特段問題を生じないものもあるため、そうした生殖株は残し、望ましくない変異を生じた個体のみ排除すればよいとYanfeni氏らは主張している。
同様のことは、Nathaniel Graham氏らによる2020年の論文 ‘Plant Genome Editing and the Relevance of Off-Target Changes’ [7]においても詳細に述べられている。Nathaniel氏らによれば、多くの植物は、一個体内に複数の独立した生殖器官を発達させていることなどを理由に、動物に生じるオフターゲット効果よりも個体全体に与える影響は小さいという。そのため、適切な管理によって有用な表現型を有する個々の植物を選択すれば、オフターゲット効果による影響を最小限に押さえられると主張している。
しかし、こうした変異は必ずしも我々の目に見える形(もしくは観測可能な形)で現れるとは限らないため、この主張は少々詭弁かもしれない。今後もオフターゲット効果を伴わない配列探索ツールの開発や、適切なCRISPR/Cas輸送キャリアの開発などが引き続き行われていくことが予想されている。(輸送キャリアについての詳細はセツロテックMEDIAに掲載の筆者執筆の記事を参考にされたい[8])。
③ゲノム編集がもたらす周囲の植物への影響
最後は少し変わった視点から、ゲノム編集で生じうる新たな問題について考えてみよう。それは、ゲノム編集がもたらす影響は、ゲノム編集を行った植物そのものだけではなく、間接的に周囲の植物にも及びうるということである。
これを具体的に考えるために、3つ目のレビュー論文を紹介しよう。それは2021年にPlantsに掲載された、Amjad Hussain氏らによる’ Herbicide Resistance: Another Hot Agronomic Trait for Plant Genome Editing’ [9] という論文である。Amjad Hussain氏らによれば、CRISPR/Casによるゲノム編集作物の台頭により、それらを栽培する際の周囲の雑草にも変化が起きうるというのだ。
雑草は、水、栄養素、日光、栽培スペースを栽培作物と奪い合い、質と量の力側面から作物の生産に悪影響を及ぼす。また、雑草は病原体や昆虫の寄生場所となることで、作物に感染したり、在来の生息地に損害を与え、最終的には在来の動植物を脅かしたりする。そのため、作物を育てる際には雑草を駆除するための除草剤を使用することが多い。しかし、glyphosateやparaquatなどの非選択的除草剤を用いると、育てたい作物そのものも障害を受けてしまうという問題がある。
そこで、近年、ゲノム編集作物の対象として除草剤耐性をもつ作物の開発が行われつつある。これは、育てたい作物が除草剤耐性を獲得すれば、除草剤によって雑草のみが駆除され、より多くの質の良い作物が栽培できるという理屈に基づいている。実際、作物のTaALSとACCaseの 2つの遺伝子を同時に編集することで除草剤耐性を獲得されるシステムなどが導入され始めているそうだ。Amjad Hussain氏曰く、米や小麦、スイカなど10を超える種ですでに除草剤耐性を持たせた作物の開発研究が公開されているという。作物のゲノム編集を行う際に副次的に除草剤耐性を獲得させることができれば、これは非常に合理的なアプローチだといえるだろう。
しかし、Amjad Hussain氏らによれば、こうした除草剤耐性をもった作物の開発は、逆に農家が多くの除草剤を使用することを促進するようになるリスクがあるという。その結果、栽培のための除草剤コストがかさむだけではなく、駆除の対象となる雑草が従来の除草剤への耐性遺伝子を獲得することで、除草剤の効果が低減してしまうかもしれないのだ。除草剤耐性のためのゲノム編集研究アプローチによって除草剤開発と耐性獲得のイタチごっこ現象が促進されてしまうかもしれないというのはなんとも皮肉だろう。
以上のように、画期的と言われるゲノム編集の技術においても、課題は数多く存在している。長所だけに目を向けてしまうと、かえってさまざまな問題を惹起し、ともすると状況を悪化させてしまうリスクも存在するのだ。素晴らしい技術であるからこそ、起こりうるリスクを入念に検討し、より一層注意を払いながら取り扱っていく姿勢が重要だと言える。
今回は3つのレビュー論文をもとに、植物のゲノム編集を試みる上で重要なポイントのうち3つを紹介した。今回紹介した技術以外にも、徳島大学の刑部教授が開発したTiDをはじめ、植物のゲノム編集を躍進させる研究は数多く存在する[5]。それと同時に解決すべき問題もまだまだ多く存在する。今後の我々の生活をより一層豊かにしていくためにも、ゲノム編集食品に対して興味関心を持ち、議論を続けていくことが大切だ。
(文責:柴田潤一郎)
参考文献
[1] 日本経済新聞 「「ゲノム編集食品」国が初承認 トマト流通へ」
[2] 柴田潤一郎 「食料問題にCRISPR/Cas9で立ち向かう -ゲノム編集の実益と規制のあり方-」
[3] 柴田潤一郎 「ゲノム編集により食品問題に立ち向かう米国企業 〜米国株ブームから見えてくる今後の期待と問題点〜」
[5] 柴田潤一郎 「徳島大学発の新しいゲノム編集技術“TiDシステム” ~世界に羽ばたく国産ゲノム編集~」
[6] 柴田潤一郎 「Machine learningとCRISPR/Cas9 -バイオインフォマティクスの発展と課題-]
[7] Graham N, Patil GB, Bubeck DM, et al. Plant Genome Editing and the Relevance of Off-Target Changes. Plant Physiol. 2020;183(4):1453-1471. doi:10.1104/pp.19.01194
[8] 柴田潤一郎 「NanoMEDICによるCRISPRの効率化~ナノサイズの分子輸送体がゲノム編集の要となる〜」
[9] Zhang, R.; Liu, J.; Chai, Z.; Chen, S.; Bai, Y.; Zong, Y.; Chen, K.; Li, J.; Jiang, L.; Gao, C. Generation of herbicide tolerance traits and a new selectable marker in wheat using base editing. Nat. Plants 2019, 5, 480–485.