ゲノム編集で不妊治療に希望を

不妊治療の現状

不妊治療。誰しも一度は聞いたことのある言葉ではないだろうか。不妊とは妊娠を望む健康な男女が避妊をしないで性交をしているにもかかわらず、一定期間妊娠しないものを指す[1]。この”不妊”と自分自身はあまり関係が無いと感じている人も多いかもしれない。しかし、日本において不妊に悩む夫婦は多いのである。国立社会保障・人口問題研究所が実施した「第15回出生動向調査(2015年)」によれば、子供のいない夫婦の内、不妊を心配したことがある夫婦の割合は全体の55.2%にも及ぶ。また、全夫婦の内(子供がいる夫婦も含む)、18.2%の夫婦が不妊治療を経験している[2]。

着床障害に関して

不妊の原因は解明されているものから解明されていないものまで様々なものが存在する。本記事で焦点を充てたいのは不妊の原因の1つである着床障害である。

本来、卵子が精子と出会い受精し、子宮内膜上皮に接着し、子宮内膜に入り込むことで妊娠成立となる。この受精卵が子宮内膜に入り込む現象を着床と読んでいる。しかし、受精卵が着床しないことで、妊娠に至らない着床障害が問題となっている。不妊に対する生殖補助医療は大きな発展を遂げているが、この着床障害に関しては母体の診断法や治療法は開発されていない。また、着床のメカニズムも全てが解明されたわけではなく、わかっていないことも多い。着床過程において、母体側と受精卵側で様々な相互作用が働いていると考えられておりメカニズムを解明することは非常に難しい。相互作用に関わるとされる因子が発見されているものの、全体像は謎に包まれている。

実際、不妊治療クリニックなどで体外受精に成功し、良好な受精卵を識別し、その受精卵を母体に戻しても着床せず妊娠に至らない場合が多い。2018年の内閣府のデータによると受精卵を母体に戻した後、妊娠に至る確率は平均して約30%である[3]。そのため、着床障害の原因を追求したり、着床障害を解決する手段を研究することは不妊治療において非常に意義があるとされている。

着床を調節する研究成果

本記事ではこの着床障害に対して希望をもたらす研究成果[4]について紹介する。

その研究成果は一言でいうならば、”青色LEDによる青色光の照射とゲノム編集を組み合わせることでマウスの受精卵の着床をピンポイントに調節することに成功した”という内容である。ゲノム編集と新たな技術の組み合わせにより誕生した研究成果である。

実験結果は下記の通りである。

まず初めに、雄マウスと交配させた雌マウスに、青色の光を照射した時だけゲノム編集機能を発揮する光活性化 Cas9(光 Cas9)の遺伝子[5]とLIF遺伝子を標的とするシングルガイド RNA (sgRNA)を導入する。光Cas9は原核生物で発見されたCRISPR-Cas9システムのDNA切断酵素(Cas9タンパク質)の活性を青色の光で制御し、ゲノムを意のままに編集できる技術であり、東京大学の佐藤守俊教授などによって開発されたものである。

また、LIFとはLeukemia Inhibitory Factorの略で着床に必要不可欠な白血病抑制因子である。LIF遺伝子を欠く場合着床に失敗することが分かっている[6]。

マウス交配後の3.5 日目にこの雌マウスの全身(主に腹部)に青色光を照射すると、光 Cas9 のゲノム編集により子宮での LIF 遺伝子が壊され、 LIFタンパクが低下する。そのため着床が成立せずマウスは妊娠に至らなった。このマウスは、青色光を当てなければ LIFに影響を及ぼすことがないため、着床が起きて妊娠可能となる。

また、LIF遺伝子を標的としない sgRNAと光Cas9を導入した雌マウスには青色光を照射した場合でも、LIFに影響を及ぼさず着床が起きて妊娠した。

このように、狙った場所とタイミングで青色の光を当てることにより、子宮内の生命物質の働きを調節することが出来たという研究成果である。ゲノム編集があったからこその発見である。着床のタイミングを調節出来るということは、着床障害が原因である不妊の治療に大きな希望をもたらすことが考えられる。その他にも着床を妨げることによる新しい避妊方法などの開発に繋がることも考えられている。現存する避妊薬は母体に負担がかかるものが多いため今後の研究に期待が寄せられている。着床に関する基礎研究が十分に進まない理由に、観察や解析が難しいことが挙げられる。しかし、この光操作によるゲノム編集技術を使えば着床現象をダイナミックに解析できる可能性もある。

ゲノム編集と不妊治療研究

他に、ゲノム編集の利用により不妊関連でも既に数多くの研究成果が誕生している。例えば、精子の受精能力を抑制する遺伝子ファミリーを発見した例があげられる。1つの遺伝子をノックアウトさせたマウスを実験に用いても、その他のファミリー遺伝子が機能を補ってしまうことで表現型が現れない場合が多く、遺伝子ファミリーを対象とした個体レベルでの研究は進んでいなかった。しかし、大阪大学の伊川正人教授らの国際共同研究グループは、ゲノム編集技術CRISPR-Cas9の利点を駆使して染色体上でクラスターを形成する遺伝子ファミリーをクラスターごと欠損させたマウスを作製・解析し、精子の受精能力を制御している遺伝子ファミリーの発見に成功させた[7]。この研究成果から男性不妊の原因究明や治療法・避妊薬の開発が期待されている。

ゲノム編集と不妊治療研究の展望

ゲノム編集の利用だけでも素晴らしい研究成果が沢山誕生している。しかし先に紹介した着床の研究では、ゲノム編集と新しい発見を組み合わせることで想像を上回る素晴らしい研究成果が生まれた。ゲノム編集を用いて研究を行うことは一般的になりつつある中、この様にゲノム編集をベースに他の技術と組み合わせていくことで我々の想像を超えるさらなる発見が沢山出てくるだろう。子供を望む人が望んだ形で子供を産めるような社会の実現を見据え、今後の研究に期待したい。

(文責:Y.T)

参考文献

[1] 日本産婦人科学会

[2] 国立社会保障・人口問題研究所実施 第15回出生動向調査(2015年)

[3] 内閣府実施 ARTデータブック(2018年)

[4] Tomoka Takao, Moritoshi Sato, Tetsuo Maruyama. (2020). Optogenetic regulation of embryo implantation in mice using photoactivatable CRISPR-Cas9Proceedings of the National Academy of Sciences.117 (46) 28579-28581

[5] Nihongaki Y, Kawano F, Nakajima T, Sato M. (2015). Photoactivatable CRISPR-Cas9 for optogenetic genome editing. Nat Biotechnol(7):755-60

[6] Stewart CL, Kaspar P, Brunet LJ, Bhatt H, Gadi I, Köntgen F, Abbondanzo SJ. (1992). Blastocyst implantation depends on maternal expression of leukaemia inhibitory factor. Nature. 3;359(6390):76-9

[7]Yoshitaka Fujihara, Taichi Noda, Kiyonori Kobayashi, Asami Oji, Sumire Kobayashi, Takafumi Matsumura, Tamara Larasati, Seiya Oura, Kanako Kojima-Kita, Zhifeng Yu, Martin M. Matzuk, Masahito Ikawa. (1992). Identification of multiple male reproductive tract-specific proteins that regulate sperm migration through the oviduct in miceProceedings of the National Academy of Sciences.116 (37) 18498-18506

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